とてつもない才能が結集して、おじさまスラッシュを作った〜『インヒアレント・ヴァイス』

 ポール・トーマス・アンダーソンの新作『インヒアレント・ヴァイス』を見てきた。

 舞台は1970年のロサンゼルス。マリファナ大好き探偵ドック(ホアキン・フェニックス)のところに昔の彼女であるシャスタ(キャサリン・ウォーターストン)がやってきて、現在の愛人である不動産業界の大物ミッキー(エリック・ロバーツ)に対して、どうも妻のスローン(セレナ・スコット・トーマス)とその愛人が陰謀を仕掛けているようなので調査してほしいという依頼をする。基本的にはこの調査が主軸ではあるのだが、他にもドックがいろいろな依頼を受けたりトラブルに巻き込まれたりして、それが全部つながっていく…という展開になる。あまりにも全部つながっていくので、まったく、この映画を見ていると、ロサンゼルスっていうのは大都市であるわりには皆決まったメンバーとしかセックスしてない、まるで村のような社会だという印象を受ける。
 
 こちら、原作はトマス・ピンチョンの『LAヴァイス』である。

LAヴァイス (Thomas Pynchon Complete Collection)
トマス ピンチョン
新潮社
売り上げランキング: 62,603
 原作も読んだのだが、ピンチョンにしては格段に読みやすい作品だ。フォーマットが普通のハードボイルドミステリなのでけっこう軽い気持ちで読める。映画のほうはかなり原作に忠実ではあるものの、長さの関係で相当カットしており、また原作よりは映画のほうがシャスタに対するドックの未練が強調されているように思った。

 それでこの映画だが、ピンチョンの原作をよくこういうきちんとした映画にしたなあと思うし、またまたいかにも70年代らしい時代考証とPTAらしいユーモアのセンス、役者の演技がどれもよくはまっており、とても楽しい作品になっていると思った。笑うところはたくさんあるのだが、とくにビッグフット(ジョシュ・ブローリン)が日本人がやってるパンケーキ屋で意味わかんない日本語で注文をする場面は『ブレードランナー』級の笑いである。あれは日本語がしゃべれる人しかわからないと思うので、まあ一種のサービスカットというべきか。

 …しかしながら、おそらくこの映画をこう楽しんだ人はあまりいないと思うのだが、私にとってはこの映画は魔女が語るおじさまスラッシュ映画のように見えた。というのも、基本的にこの映画はソルティレージュ(ジョアンナ・ニューサム)の語りによって支配されており、ソルティレージュはニューエイジにはまっているが非常に賢く、おそらく登場人物の中で一番しっかりした女という性格造形がなされている。ソルティレージュはシャスタの美貌を言葉で描写するなど語りの役割をつとめるばかりでなく、'Chryskylodon'の真の意味をドックに教える(原作ではこの役目を果たすのはソルティレージュではない)など、導きの女、Wise womanの役を果たしていると思う。一方でドックはビッグフットと腐れ縁で、しょっちゅう互いに迷惑をかけあいつつどういうわけか離れられない間柄で、ここがまるでおじさまスラッシュみたいである。とくに最後のビッグフットがマリファナを食ってしまう場面はなんかとてつもないスラッシュ臭を感じた。しかもドックのほうには一応、死んだことになってる元ミュージシャンのコーイ(オーウェン・ウィルソン)が絡んでくるので、ここもなんだかおじさまスラッシュ風である。ということで、全体的にはおじさまの惚れたはれたを魔女が優しい目で見つめている心温まるスラッシュのような印象を与える(ウソです)。

 ただ、70年代ノスタルジア映画としては、私はヒロインが変なモラハラ男にハマってしまうこの映画よりも、フェミニストが出てくるわミュージカル場面があるわ、へんてこりんだが気楽に見られる『ビッグ・リボウスキ』(正確にはこれは70年代が舞台ではないのだが)のほうが好きである。とはいえ、この映画もDudeの世界といえばDudeの世界だ。

 なお、この映画はベクデル・テストを満たさない。名前がついている女性キャラクターが話し合う場面がほとんどないからである。