ケアと癒やしの壮絶ノンストップアクション〜『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(ネタバレあり)

 『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を見た。なお、オリジナルのシリーズは一切未見である。

 物語は文明が破壊された砂漠が舞台である。ヒロインのフュリオサ(シャーリーズ・セロン)は独裁者でカルトの指導者であるイモータン・ジョーに軍人として仕えてそこそこ出世していたが、これまでの贖罪のため、イモータン・ジョーのもとで性奴隷として子どもを生まされている5人の女性たちを助けて逃走することにする。それをこれまたイモータン・ジョーの手先につかまっていたマックス(トム・ハーディ)が成り行きのせいで助けることになる。一行は追っ手を振り切ってフュリオサの一族であった女たちが住むところまで逃げ、新天地を目指そうと考える…ものの、マックスの説得でこれ以上放浪するよりはイモータン・ジョーを倒して砦に安全に生きられる環境を作ることを目指すほうが良い賭けだと考え、最後の戦いにのぞむ。主人公が行って帰ってくるだけというまるで神話みたいな単純な構造で、さらにひっきりなしに試練と血みどろの暴力が繰り返されるあたりもまるでホメーロス叙事詩みたいな作りである。すごく単純に見えるが、たぶん作るほうは基本的なストーリーテリングの構造をきちんと抑えた上でかなり考えて作っていると思われる。

 とりあえずこの映画は「『テルマ&ルイーズ』以来のフェミニストアクション映画」と言われているだけあって、おそらく最近作られたビックバジェットのアクション映画としては最もフェミニスト的で、女性客を意識した作品である。これは作り手のジョージ・ミラーが明らかに意識してそうしたようで、強制結婚の犠牲になった女たちを物語に織り込むにあたって、『ヴァギナ・モノローグズ』(この芝居はフェミニストの中でも賛否両論あるものなのだが)の作者である有名なフェミニスト文人で活動家であるイヴ・エンスラーを協力者として呼んだというのだから実に気合いが入っている。ボコ・ハラムやISISなど、紛争下における女性に対する性暴力があとをたたない世界の中でリアリティを重視するのならばまあ当然のアイディアとは言えるのだが、そういうのをアートハウス・社会派の小さな予算規模の映画じゃなくビッグバジェットのアクション映画でわかりやすくやったというのはすごいと思う。性暴力が大きなテーマなのに、性暴力シーンを「セクシーなもの」としておまけみたいに出してこないのもすごく評価高い。なお、本作はベクデル・テストもパスしており、メインキャラの女性同士が男性以外のいろいろなこと(戦いの状況とか、衛星とか)について話す場面もある。

 全編にわたり、この映画は家父長制と資本家の支配にもとづく世界がいかにひどいディストピアであり、そこからはじき出された女たち、男たちがどんなにひどい扱いを受けているかということを爆発と流血をたっぷりまじえて描いた作品である。女たちが搾乳機扱いされたり、またセックスと子孫維持のためだけの道具として扱われる一方、男たちはウォーボーイズとして洗脳を受け、どんなに虐待されても名誉のために死ぬことが一番素晴らしいことだと信じて自分を抑圧する制度の維持に貢献してしまう。このへんで紹介した本(とくにラファルグとかだったと思うが)では、男は兵士になって命を売り、女は娼婦となって性や生殖の能力を売るということが労働力搾取の最悪の形として鋭く批判されていた記憶があるのだが、イモータン・ジョーが支配する世界はまさにこの人間に対するジェンダー化された労働力の搾取を最悪のところまでつきつめることでできあがっている社会である。

 英語圏では既に女性たちの人間性のしっかりした描き方について様々な分析が出ていることもあり、繰り返すまでもないと思うのだが、とにかくフュリオサとマックスがほぼ同等に助け合うアクションヒーローであり、かつ恋に落ちないドライな同志であるというところが実にぐっとくる(言い方は悪いが、フュリオサがマックスの肩越しに銃を撃つ場面は男と女のスラッシュかと思った)。また、イモータン・ジョーの犠牲になった強制結婚の妻たちの描写も単なるかわいそうな犠牲者ではなく、トラウマと抵抗の間で揺れ動く人間性豊かなキャラクターとして描かれているところが良い。最後に出てくるおばあちゃん軍団も生き生きしている。

 しかしながら、私がこの映画について面白いと思ったのはむしろ男性像のほうである。この映画は爆発やら殺人やら非常に荒っぽい画面が息もつけないようなスピードで続く作品だが、実は強制結婚被害者の女性たちの心の回復などもまじえてケアとか癒やしなどのモチーフを細かいところにうまく盛り込んでおり、とくにしばしば女性の属性とされるケアの力を男性も持ち合わせているものとしてかなり前に出しているところが興味深いと思う。

 まず主人公のマックスだが、彼はイモータン・ジョーの社会を支えているような家父長制的な見栄に全く興味を示さない一匹狼で、さらに女性を性的対象として貶めたりすることがなく、常にドライだ。見栄を張ることがないので自分よりもフュリオサのほうが射撃の腕が上だと思ったらためらいなくフュリオサに銃を譲るという、今までのアクションヒーローからするとなかなか考えられないような行動もする。しかしながらマックスはドライな一匹狼のくせにここぞというところでは人をケアする能力に長けた男で、伝統的に女性の役割とされているような人を癒やす力を持っている。最初にマックスは誰にでも輸血できる血液型の男だとしてウォーボーイズに囚われ、ニュークス(ニコラス・ホルト)に血液袋扱いされるが、ここが最後の伏線となっていて、マックスは自分の血を弱ったフュリオサに与えることでフュリオサを生き延びさせるという極めて思いやりに富んだ重要なケアを行う(ここには暴力としての流血vs癒やしのための輸血という対比もあるだろう)。さらにマックスはケアの力だけではなく知恵も持っている。フュリオサが古典の英雄のように生きているのに対して、マックスは日本神話の「妹の力」ばりに、英雄フュリオサが誤った決断(160日の放浪)をしそうになった時、知恵とケアで正しい道、故郷に落ち着く方法(これが血で書かれているというのがまた神話的であるが)を指し示す。こういう知恵やケアで英雄を助け、もとの場所に返す人物という役は女や老人に与えられることが多いと思うのだが、この映画では放浪する英雄であるマックス自身が知恵やケアをもたらす役割も果たしている。こういう神話的でかつ伝統的に女性のものとされているような美徳を与えられたヒーローというのは新鮮な面白さがあると思う。

 さらに面白いのはニュークスである。ニュークスは最初はなんでも破壊してしまうような粗野なウォーボーイとして描かれ、イモータン・ジョーを崇拝する一方でマックスを血液袋扱いする。しかしながらイモータン・ジョーの信頼を失った時、癒やしを与えてくれたケイパブル(イモータン・ジョーの強制結婚犠牲者のひとり)に感化され、壊す男から車を直す男、つまりはケアと癒やしを司る男へと変貌し、最後は自己犠牲によって他の者を守るという行動に出る。ウォーボーイとして短い命を運命づけられたニュークスの自己犠牲は悲劇的で高貴な行いとして描かれているわけであるが、このニュークスの物語においては、破壊のみを行うことの無益さ、そしてケアと癒やしこそが人の心を動かすものであるということが暗示されていると思う。

 とにかくものすごく単純に見えるノンストップアクションなのに、神話的な作りが垣間見えたり、繊細なモチーフがところどころに織り込まれていたり、何も考えなくても楽しめるけれどもたくさん考えることができる映画だと思った。ただし、3D酔いするので前のほうの席で見るのはちょっとおすすめできないかも…

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