佐々木蔵之介の身体を争う20もの役柄〜パルコ劇場『マクベス』

 パルコ劇場でアンドリュー・ゴールドバーグ演出の『マクベス』を見てきた。佐々木蔵之介がひとりでマクベスの役を全部演じるというもので、スコットランドなどで既に成功した演目を日本に持ってきて日本語で、ということらしい。

 舞台は精神病院で、患者が入院するところからはじまる。ひとり芝居とはいえ、医者や看護師は登場する。患者を監視するテレビが三台、舞台上方に設置されており、三人の魔女が出てくるところなどはこのテレビを用いて演出される。

 最初は佐々木蔵之介の動きがすごく硬く、演技も台詞もマルコフ連鎖みたい(たとえが悪いかもしれないが、この間「マルコフ連鎖で断片化・圧縮した『ハムレット』上演」についての発表を聞いたばかりなのでそう思った)にバラバラになっていてどうなることかと思ったが、マクベス夫人が出てくるあたりから一気に良くなり、最後まで飽きずに楽しむことができた。

 もともと『マクベス』は狂気と病に満ちた芝居なのでこういう演出が可能だというところがあると思う。マクベス夫人の夢遊病の場面などは精神病院という設定でやるとたいへん重みが増すし、マクベスが魔女の予言に取り憑かれるあたりも精神の病にも似た妄執、妄想であるとも言える。最後にマクベスが死ぬ場面のバスタブを使った演技などは本当に自殺のように見える。さらに、『マクベス』においては人間同士の境界が曖昧になるところがあるというのもポイントだ。三人の魔女は1つの属性が3つに分裂しているとも言えるし、一方でマクベスマクベス夫人はふたりの人間であるにもかかわらず、ひとつの心を持って行動している。こういう人格同士の境界が曖昧になるようなところがある芝居であるがゆえに、この設定でひとり芝居にするというのが成功しているというところもあるだろうと思う。佐々木蔵之介たったひとりの身体の中で、20もの役どころが場所を求めて争い、戦争の騒乱が駆け巡り、スコットランドの寒風が吹きすさぶ様はとてもスリリングだ。

 とはいえ、いくつか疑問点はある。まず、はじめて『マクベス』を見る人にとって完全にあらすじを理解できるような芝居ではないかもしれないので、今までこの芝居を見たことがない人は戯曲を読んで行ったほうがいいだろうということだ。ふたつめとして、医者が女性であるということの意味は何なのか、ということがある。権力を持った女性が監視役をつとめるというのは『カッコーの巣の上で』なんかにも出てくる、よくある表現だと思うのだが、この芝居においてどういう意味があるのかはもうちょっと考えないといけないと思った。魔女と結びつく、何らかの母性的権力の表現なんだろうか?