文明開化語はニュースピークであるす〜こまつ座『國語元年』

 紀伊國屋サザンシアターこまつ座の『國語元年』を見てきた。テレビドラマは見たことあるし戯曲も読んだことあるが、上演を見るのは始めてである。

 舞台は明治初期、主人公は文部省につとめている長州出身のお役人、南郷清之輔(八嶋智人)である。清之輔は薩摩出身の南郷家の婿で、薩摩隼人の舅・重左衛門(久保酎吉)とおっとりした薩摩おごじょの妻おみつ(朝海ひかる)のほか、東京山の手出身の女中頭おかつ(那須佐代子)、東京下町ことばを話す女中のおたね(田根楽子)、米沢弁を話すおふみ(森川由樹)、遠野出身の車夫である弥平(佐藤誓)、名古屋出身の書生・広沢(土屋裕一)、英語しかしゃべれないピアニストの太吉(後藤浩明)と暮らしており、さらに芝居の途中で会津出身の強盗・虎三郎(山本龍二)や京都の貧乏公家・裏辻芝亭(たかお鷹)、河内のお女郎・ちよ(竹内都子)などなどが転がり込んできて、南郷家は日本の方言の縮図のような状態になっている。そんな清之輔に、日本にはたくさんのお国訛りがあって軍隊などでの意思疎通が困難であるから全国統一話しことばの制定をせいよという命令がくだるが、全国統一話しことばの考案はなかなか難しく…

 とにかくいろんな方言が飛び交うセリフがおかしく、1/3くらいは何を言っているのかよくわからないのだが、それでも笑うところがたくさんある。一方で、清之輔の前の仕事である小学唱歌集の歌を歌う時は皆けっこう訛りがない発声になっているのがポイントで、歌というのは訛りをわかりにくくする作用があるなと思った。そしてこういう方言のセリフや歌をこなす役者が皆エネルギッシュで、とくに主役である清之輔役の八嶋智人は可笑しかったり、哀愁があったり、大変良かった。

 この芝居は清之輔がたいへんな努力の末に「文明開化語」(動詞の活用をなくし、文章を終わらせる時は「す」をつける…とか、9つのルールがある)というのを開発し、それをお上に提出しようとしたところ、清之輔がつとめている学務局がなくなっていて、それを知った清之輔が狂気に陥ってしまう…というなかなか悲しい終わり方をする。この文明開化語というのは一見大変便利なのだが、動詞の活用を少なくしたりするあたりがちょっと『1984』のニュースピークと似ていると思うのである。最後に文明開化語で押し込み強盗をして失敗した虎三郎が手紙で言葉を作ったり管理したりすることの問題について指摘しているが、清之輔は善意で開発したものだとしても文明開化語にはやはり言語を管理し、自由な使用を制限し、ひいては人の思考を制限するという側面がある。そういうことを考えながら見ると、ことばを制限する文明開化語を考えた人物が狂気に陥って際限なく喋り続ける(言葉を制御できなくなる)というオチはなかなか厳しく皮肉なものがあると思う。