客を舞台にあげることの問題〜『マジック・マイクXXL』

 『マジック・マイクXXL』を見てきた。『マジック・マイク』の続編で、男性ストリップのスターであるマイク(チャニング・テイタム)がふたたびストリップ界に戻ってきて、もとの仲間たちとストリッパー大会に出場するというものである。

 いろいろ野心的だし面白いところはあると思うのだが、ダンスの映画として見ると前作『マジック・マイク』よりかなり物足りないと思った。前作も芸道もの映画としてはちょっとイマイチかなーというところがあったのだが、今回はそれだけじゃなくてダンスの撮り方じたいにちょっと文句がある。

 『マジック・マイク』と『マジック・マイクXXL』のダンスの一番大きな違いは、前作はソロでも群舞でもかなり鍛え抜かれた洗練された動きを見せる撮り方が多く、客いじりがないわけではないがけっこう控えめだった一方、今作では客を舞台にあげて絡む親密感のあるダンスがものすごく増えているということである。まあ私が個人的に客いじりの激しい演目が嫌いというのもあるのだが(スターは遠くから崇拝するほうが好きだ)、それ以上にこの映画ではかなり見せるためのダンスとしての見映えを制限してしまっているところがあると思う。

 たぶんこの映画で一番、ダンスとしてぐっとくるのは、前半部分、マイクが作業場でかつてルーティンに使っていた'Pony'を聞いてつい踊り出してしまうところだと思うのだが、この場面ではマイク(チャニング・テイタム)のクリエイティヴィティ、自己表現として踊ることの喜びが余すところなく表現されているし、また鍛え抜かれた美しいダンスで、撮り方もちょっと昔のフレッド・アステアジーン・ケリーのミュージカルを思わせるような雰囲気でとてもステキだ。これをきっかけにマイクが昔の仲間とのストリッパー大会への旅を決意するということもあり、自己表現や自分の芸を磨くことの楽しさをよく表している場面だと思う。
 次に面白いのはリッチーがバックストリート・ボーイズの'I Want It That Way'にあわせてコンビニでダンスするところだと思うのだが、ここもお客はいるが基本的にソロで、狭い空間や小道具を使って即興的に踊るところが面白さを醸し出している。このあたりまでのダンスはかなり良い。

 ところが、ローム(ジェイダ・ピンケット・スミス)のお屋敷でダンスするあたりからかなり客いじりの激しいショーが多くなり、このへんからちょっとダンスの見映えがイマイチになってくる。客いじりというのは客の人権を侵害しないようにしないといけないのであんまりベタベタ触ったりするのはよくないことも多いのだが、この映画で描かれているような場所ではかなり激しい客いじりが前提とされていて客も承知なのでまあそこはクリアしているとして、問題は客がダンスの素人だということである。素人を舞台にあげるとその素人は当然ダンサーと同じようには動けないわけだが、一方で客をほっといてひとりでダンスするわけにはいかないのでダンサーは客と絡まざるを得ない。そうするとかなりダンサーの動きが限られたものになり、客を不安にするようなレベルの危険な動き(作中では多少客に絡んで危険な動きをやってたが、ソロやプロ同士ならあの程度はフツーだろう)や舞台を広く使うダイナミックな動きはあまりできなくなる。これはカメラワークにも影響しており、ダンサーの動きを広く躍動的に捉えるよりは客とダンサーの接近を取る感じになっているので、どうもダンスじたいのスケールが小さく見えてしまう。とくにクライマックスのストリッパー大会でのダンスは、客との絡みが中心でダンサーじたいの動きを美しく見せるところは実は少なかったのではないかと思う。このあたり、一番盛り上がらないといけない最後でダンスじたいの見映えがあまりしないのはなぁ…こういうのを避けるために空っぽの椅子を相手にするとかいろいろテクニックはあると思うのだが(椅子に女が座ればそれは彼女のためだけのダンスになるが、空っぽの椅子なら客の全員がそこに想像で座れる)。

 とはいえ、この映画はだんだん「自分のために踊る」よりは「女性の癒やしのために踊る」みたいな方向にシフトしていくので、話の方向性とダンスの方向性はきちんとあっているかもしれない。ケン(マット・ボマー)がレイキにはまってヒーラーやってたり、アンドレが「自分はふだんひどい扱いを受けている女性を癒やす仕事だと思っている」というあたり、マスキュリンな感じの男たちが実は女性の置かれたつらい立場をきちんと認識してそれに対応しようとしていることが描かれていて、このへんは非常に工夫がある。またまたこの男たちが癒やしたいと思うのが、民族も見た目もかなり多様な女たちであるということも注目すべきだろう(ちなみにロームの屋敷でのロームとキャロラインの会話でベクデル・テストをパスするのではと思う)。自己表現じゃなく他の人のために踊るというのは男性が主人公の映画としては新しいところがあるのかもしれない。最後のストリッパー大会がコンペティション形式ではなく、客を喜ばせるのに特化しているのもそういうことだろう(勝敗が問題にならないという点でちょっと前の女子スポーツ映画を思い出してしまった)。

 しかしながら、やっぱり私は自己表現としてのダンスやバーレスクが好きなので、こういうダンサーたちが自己表現のために舞台を駆け回るところを見たいし、素人と絡むよりは鍛え抜かれたダンサーの完成されたパフォーマンスを見たいと思ってしまうのである。チャニング・テイタムたちが踊る時の舞台に素人は必要ないんじゃないだろうか。