色彩の欠如とおっぱいの過剰〜山の手事情社『タイタス・アンドロニカス』

 吉祥寺シアター山の手事情社の『タイタス・アンドロニカス』を見てきた。

 冷蔵庫や電子レンジ、テレビが置かれた空間に「タイタスの妻」らしい和服の女性がひとり座り、舞台に出ている人々には見えない狂言回しのような役割をつとめながら話が進むというものである。役者は皆黒と白を中心にした和装ふうだが純和装とはいえない服装で出てくる(キャラクターによってかなり衣装が違い、タモーラとかは少し色みのあるものも着ている)。山の手事情社は「四畳半」という独特の演技スタイルを用いており、動き方などは極めて様式化されている。

 語りを使ってかなりテクストを短くしており、全体的にスピーディな展開である。アーロンはブラックフェイスなどにはせず、かえって白塗りで不気味な道化のように作っていて、台詞回しや動きなどにはちょっと狂言を思わせるところがあり、ここは面白かった。様式化されているので血が出る演出などはないのだが、テクストじたいは原作よりもセックスと暴力に満ちたものに改変されており、動きなどで暗示的に客に暴力を想像させる非常にグロテスクな演出になっている。『タイタス・アンドロニカス』は原作がじゅうぶん暴力的なのでさらに暴力的にしなくても別にいいのではと思ってしまったのだが、野心的ではある。好みはあるが、想像力をかき立てながら残虐な暴力の応酬、救いようの無い世界観を提示して最後まで飽きさせないプロダクションだと思う。

 しかしながら、これは私が最近見たほかの舞台との兼ね合いのせいだと思うのだが、なんだか視覚的に色みの少ない舞台ばっかり見ているとちょっと飽きてきてしまう。とくにラヴィニアに白、タモーラに黒を着せるあたりとかはどうなのかなぁ…この間『夏の夜の夢』を見た時も衣装が基本的に白黒なのがどうも好きになれなかった。とくに私は『タイタス・アンドロニカス』みたいな雑然とした芝居にはもっと色みがあったほうがいいと思うのだが。

 あと、もう1つ私がどうも気になったし気に入らなかったのは最初の部分の異常なおっぱい押しである。『タイタス・アンドロニカス』は別にそんなにおっぱい押しの芝居ではないと思うのだが、導入のところで語りがやたらにタモーラのふくよかな乳房や、ラヴィニアの胸の美しさを強調する。語りがタイタスの妻、つまり息子たちの母であるということで、作品全体に子どもを失った母の影があり、これがタモーラの悲嘆とつなげられているというのは理解できるのだが、そういう母性表象がやたらにおっぱいになって出てくるあたりはちょっとステレオタイプすぎでどうだろうと思ってしまった。しかもこのおっぱい話はここだけで最後のほうはそんなに出てこないので、おっぱいと母性の話はそんなにきちんと回収されているわけではないと思う。そういえば蜷川版の『タイタス・アンドロニカス』でもロームルスとレムスに授乳するメスオオカミの像がセットに使われていたが、なんかこの芝居の演出において母性とおっぱいが安易に結びつけられる傾向があるような気がする。