アポなしで斎藤緑雨が凸してくる、世にも恐ろしい明治文壇〜『書く女』

 世田谷パブリックシアターで永井愛の『書く女』を見てきた。樋口一葉黒木華が演じる。

 一葉がひどい貧乏暮らしの中で半井桃水に師事したり、他の作家たちと関わったりしながら才能豊かな作家として開花し、死んでいくまでを描いた作品である。一見、書いてばっかりの地味な芝居のように見えるが、遅筆だった一葉が独創的な「書く女」になっていく様子を多角的に描いており、全く飽きさせない。

 一葉はとにかく問題だらけのところで書いている女性である。まず明治の家制度では一葉は戸主なので、自由に結婚もできない。師匠の半井桃水に惚れているが、実は才能は一葉のほうが上だし、戸主同士で結婚もできないし、さらに桃水の遊び人疑惑もあってなかなか一葉は安心できない。またまた一葉の母親というのは生活力ゼロで文学のことを理解しておらず、政治的にも保守的で一葉みたいな知性を持たないウザい母として時には批判的に、時には愛情をこめて描かれている…のだが、いくらよいところもある人だとはいえ、実際こういう母親がいたら娘はかなりつらいだろうと思った。一葉が作家として成功してくるとだんだん文壇で支持者が増え、一葉にお熱をあげる男性文人たちも出てきたりするのだが、良い人たちだとはいえ、劇中で一葉が言っているように、女性である一葉を褒めるだけで鋭いツッコミをしてきたりはしないのでちょっと物足りないところもある。そんな逆境でも一葉は書く女としてひとり立った、というのが非常に心に残る展開と演出になっているし、黒木華の演技もいい。

 この芝居はなかなか政治的な芝居でもある。日清戦争によるナショナリズムの高まりのせいで、自由な精神で執筆をしたい作家たちにとっては書きづらい時代がやってきているという暗い世相が描かれているのだが、このあたりは日清戦争に仮託して現在の状況を諷刺する演出が行われていたと思う。さらに非常にフェミニスト的なところがあり、斎藤緑雨がやってきて一葉の作品に含まれている男性中心社会への批判を指摘するところは、文学を研究している者としては物凄く面白かった。この劇中で斎藤緑雨がやっているような精読に基づく微妙な解釈というのは文芸批評の醍醐味だし、さらにイヤミな口ぶりながらもフェミニスト批評みたいなこと(ちょっとひねくれてはいるが)をちゃんとやっていて、どこまでが史料に基づいたものなのかはわからないが実に良かった。

 しかしながら、このお芝居に出てくる明治の文壇というのは恐ろしい世界である。どのくらい史実に忠実なのかはわからないのだが、少なくともこの劇中では、お前の作品に文句があると言って斎藤緑雨レベルの批評家が、電話でもメールでもブログでもツイッターでもなく突撃訪問してくるのである!ブログで文句を言われ現代のほうが、直接会って喧嘩しなくていいだけだいぶマシだと思ってしまった。ほんとにあんな感じで訪問していたの?