闇のボストンと報道の責務〜『スポットライト 世紀のスクープ』

スポットライト 世紀のスクープ』を見た。

 ボストン・グローブ紙が、ボストンで長年組織的に隠蔽されてきたカトリック教会の聖職者による子どもの性的虐待を暴いたという事実に基づく作品である。2001年から2002年にかけて、新しい編集長を迎えたボストン・グローブの「スポットライト」調査班が粘り強い捜査で証拠を掴んでいく様子を、達者なアンサンブルキャストでじっくり描いており、非常に地味だが良心に溢れた映画だ。地道な調査の描写、確たる証拠が出るまで報道しない慎重な姿勢、報道に一過性で終わらない影響力を持たせるための苦心などを描いている点では『大統領の陰謀』とかなり似ている。

 この作品はアカデミー賞で作品賞を取っており、アメリカでは物凄く好評だったらしい。まあこの作品が2015年を代表するアイコニックな作品であるとは私は思わないが、アメリカでこういう作品が受けるのはよくわかるし、日本でも受けてほしい…のだが、正直日本でこの手の話が受けるかどうかはあまりよくわからない。まず、人の純粋な信仰を裏切ることの重大さというテーマがかなりヘヴィなものなので、なかなかわかりにくいかもしれない。それから報道の責務、ジャーナリストの社会的責任という重たいテーマは、政府に阿りやすく、飛ばしも多い日本のジャーナリズムに飽き飽きしている人たちにはピンとこないかもという不安がある。さらにどうかなと思うのはボストンの土地柄を非常に反映した作品であることだ。アメリカ合衆国プロテスタントが多い国と言われているが、ボストンはアイルランドをはじめとしたカトリック文化圏からの移民が多く、人口の半分近くがカトリックで、先祖の信仰や文化を大切に考えている人たちも多い。そういう中でカトリック教会を批判することは非常に勇気も体力も要ることなのだが、そのあたりの事情を頭に入れて見ていかないと面白さが減ってしまうのではと思う。

 なお、質感はかなり違っているが、『スポットライト』は『ブラック・スキャンダル』とかなり似た話である。いずれもボストンという歴史ある街で、移民してきた祖国の文化を大事にしている人たちがコミュニティを作っており、そうした歴史を背景に人間同士の絆に基づく組織的な犯罪や隠蔽が横行してしまう。そこに新しくトップがやってきて、陰謀が明らかに…というストーリーだ。一緒に見比べるととても面白いのではないかと思う。

 この映画がベクデル・テストをパスするかは微妙である。サーシャとおばあちゃんのコップの水に関する会話があるのだが、おばあちゃんの名前がわからないからだ。