ハイ・テク・ヌーン〜『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(ネタバレあり)

 『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』を見てきた。

 アベンジャーズの治安維持活動に伴って様々な誤爆やらなんやらが発生し、多数の民間人被害者が出てしまったため、アベンジャーズの活動を国連監視下に置く提案がなされる。前作におけるソコヴィアの戦いで巻き添えを食らって亡くなった若者の遺族と対面してショックを受けたトニーはこの協定に賛同し、ナターシャたちもこれに同意するが、監視に不安を感じたスティーヴやサムは反対。さらに身元不明のヨーロッパ人、ジモ(ダニエル・ブリュール、後で身元が明らかに)の暗躍やらなんやらでアベンジャーズが敵味方に分かれて闘うことに…

 全体的に非常に政治的なテーマを扱った作品である。ずいぶんといい加減な話だった『エイジ・オブ・ウルトロン』に比べると、話の展開も演出の緊迫感も段違いの出来で、かなり重い。アベンジャーズの活動がかえって危機を招いているところがあるという描写とか、国連の役割が機能不全気味だとか、現在の政治状況に直結するような描写がどんどん出てきて、ヒーロー勢揃い映画とは思えないほど現実的な問題を扱った話になっている。話の流れとしては、一番他人の言うことを聞けない技術者肌のトニーが協定の監視下に入ることに賛成し(アベンジャーズで唯一、対人交渉のスキルがありそうなナターシャが賛同するのは当たり前だろうが)、起立正しい軍人で文民統制とか共同作戦とかに馴染みがあるはずのスティーヴやサムが協定に不安を抱くというのはちょっと捻っていると思うのだが、案の定最後にトニーが許可やら監視やらそっちのけで私情で暴走してしてえらいことになる。国連監視下に入りたがらないスティーヴの描写は極めてアメリカ的な孤立主義で政治的には非常に問題のある選択だと思うのだが、一方で協定に問題がありそうなことや、スティーヴ自身が悩んでいることも描かれているので、なかなかはっきり割り切れない描き方になっていると思う。

 既にこのあたりの政治的事情についてはアメリカの現状に詳しい人が書いたレビューなどがずいぶん出回っているので、私が気付いたポイントで一番大事そうだと思ったことを書いておきたいと思う。それは、この映画はかなり『真昼の決闘』(High Noon)を意識しているように思えるということである。『真昼の決闘』は1952年の西部劇で、とにかくアメリカ人が大好きな映画だが、『シビル・ウォー』のキャプテン・アメリカことスティーヴはこの映画に出てくるケイン保安官(ゲーリー・クーパー)と似たような人物として造形されていると思う。ケインは復讐のため街に帰ってきた悪党どもとたった一人で闘う保安官であり、世間に阿らず、自分が正しいと信じたことをやる男だ。たぶんスティーヴはこういう西部劇(発表当時としてはかなり変化球な西部劇だったのだが)のヒーロー、秩序も法も機能しない中で世間と闘う孤独なカウボーイや保安官という性質を賦与されている。キャプテンが星の盾を置いて去る場面、何か見たことあるような…と思ったが、これ、おそらく『真昼の決闘』でケインが星の形の保安官バッジを地面に落として去って行く場面への暗示だろう。スティーヴはトニーに言われて星を置いていき、ケインは自分の意志で星を落とすという違いはあるが、これはどちらもアメリカン・ヒーローが政府や社会に幻滅してそこから離れようとしていることを示す。ただ、スティーヴにはケインにかろうじて許されていた家庭生活の道、私人としての幸福もほぼ閉ざされている。ケインが星を捨てて旅先に連れて行くのは新婚の花嫁エミー(グレイス・ケリー)だが、スティーヴが連れて行くのは洗脳でボロボロになり、罪の意識に苦しんでいる戦友バッキーで、バッキーは精神的な問題で冷凍睡眠に入ってしまう。スティーヴにはまだサムもいるし、復讐の連鎖を断ち切ると決めて賢明になったブラック・パンサーが助言してくれるようだが、バッキーは冷凍、トニーとは生き別れになってしまったスティーヴはケインよりもだいぶ孤独である。

 ちなみに『真昼の決闘』の最後、伝説的な一人対四人に決闘場面については、ファン作ったハイテクSFパロディ動画がある。このパロディ動画『ハイ・テク・ヌーン』、なんか雰囲気がかなり『シビル・ウォー』に似てる!興味がある人は是非この動画と『真昼の決闘』も見て下さい。

 なお、この映画はベクデル・テストはパスしない。ナターシャが誰か女性と作戦について話せばパスするんだが…