アフリカを舞台にした完成度の高いプロダクション~RSC『ハムレット』

 RSCの『ハムレット』を見てきた。サイモン・ゴドウィン演出で、ハムレット役はパーパ・エシエドゥ(ちょっと発音は自信無い)。

 アフリカ(西部あたりの独立国という設定らしい)を舞台にしたプロダクションで、同じくサブサハラの国を舞台にほぼ黒人キャストで固めた『ジュリアス・シーザー』の成功をふまえたものである。監視室などがある現代的なセットで、ハムレットが絵を描く場面では全体にグラフィティが貼られたり、オフィーリアが狂気に陥る場面ではバーみたいな二階のセットが使われるなど、見た目の工夫もけっこうある。全体としては政治劇でもあり、かつ現代の悩める若者についての芝居でもある。

 このプロダクションの魅力はとにかくパワフルで若々しいハムレットにつきる。最初の場面で、原作には無いハムレットがヴィッテンベルクの大学を卒業する場面が登場するのだが、この冒頭のハムレットは何も心配することもなく、学問に芸術に遊びに手一杯の生き生きした若者だ。ところが次に登場する時には父親の死に打ちのめされた憂鬱な王子になり、留学先での自由な探求もできなくなって国家と家族への責任にがんじがらめである。非常に激しくて感情表現が豊かなハムレットなのだが、一方でこの劇的に移り変わる感情と思考のせいで決断ができない。第一独白で父の死の後の憂鬱を語るところから既に非常に激しい感情表現をするのだが、それがあまり鼻につかないようになっている。一方でこのハムレットは大変アーティスティックな青年で、狂気を装う場面ではグラフィティスタイルの絵を描いて王のクローディアスを諷刺し、自分が王であるべきだと主張したり、王座に男子トイレと女子トイレのマークを貼り付けるなど、政治家よりは芸術家に向いているような繊細で自由なセンスの若者だ。繊細で優柔不断なのに劇的で感情的、しかも芸術家、ということで、いまどき珍しいくらいロマンティックなハムレットである。個人的に、留学中は楽しく自由に芸術をやっていたのに帰国した途端物凄い責任を負わされるというキャラクターにはどうも親近感を抱いてしまうので、このハムレットのキャラクター造形はたいへん魅力があった。台詞回しもクリアだし、最後の殺陣まで失速せずエネルギッシュで申し分ない。生で見たハムレットの中では今までで一番良かったと言えるかもしれない。

 ハムレット以外のキャストや演出も良い。ハムレットとホレイシオはかなり親密で、ホレイシオはハムレットの自由で楽しい留学時代を甦らせてくれる知的な友として登場し、狂ったふりをするハムレットの落書きを手伝うなどいろいろ協力をする。クローディアス(クラレンス・シンプソン)はイディ・アミンなどのアフリカの独裁者を思わせる演出で、クローディアスが出てくる場面はリアルな現代の独裁国家の権謀術数に見え、この芝居が政治劇であることを印象づけている。オフィーリア(ナタリー・シンプソン)は現代の明るい女の子がだんだん狂っていくという演出で、ふつうのオフィーリアに比べるとずいぶん快活で態度もはっきりしており、親近感を持てる若い女性として演じられている。ハムレットとの、悩みを抱えた現代の若者同士の純粋な愛情が政治的な事情でどんどん壊れていく様子は哀切だ。

 とくに面白いのは亡霊に関するもろもろの演出である。最初の場面では亡霊は光で暗示されるだけで、ハムレットと会うまでは姿を現さないという仕掛けがある。これにガートルード(ターニャ・ムーディ)が居室の場で亡霊を見る(ポストトークで言っていたが、亡霊がガートルードにも見えているもののそれを認めないという設定らしい)という演出がうまく呼応しており、見えるのか見えないか危うい亡霊と、それに悩まされてなかなか決断ができないハムレットというモチーフがよく浮かび上がってくる。

 こういうわけで、とにかく面白く、最後まで飽きない『ハムレット』だった。今まで見た中でもトップクラスだ。