日本で女形についての芝居をする意外な難しさ~『クレシダ』

 ニコラス・ライトの芝居『クレシダ』を見てきた。森新太郎演出である。

 1630年代のロンドン、オールメールシアター。役者としての自信を失ったジョン・シャンク(平幹二朗)は女役の少年俳優の訓練をしていた。『夏の夜の夢』に妖精役が必要なので修行中の少年を雇おうとしたところ、少年俳優の養成を委託していた男が子どもたちごと夜逃げしてしまう。ロクに台詞もしゃべれない少年、スティーヴン(浅利陽介)だけが残されたが、実はスティーヴンには才能があり…

 世代の違う役者のせめぎ合いを、これまた舞台にはつきもののスキャンダルやら金のいざこざをからめてうまく見せている芝居である。役者たちは皆頑張っており、、少年俳優を演じる若手たちや、昔は女形だったが今は劇団のマネージャーになっているディッキーを演じる高橋洋もなかなか良い。また、昔は綺麗な女形だったが今は衣装係であるジョン(花王おさむ)が、昔とった杵柄で堂々と『タンバレイン』の一節を暗唱しようとしたところが途中で台詞をど忘れしてしまうというような細かいところになんともいえない切なさがある。ただ、終盤のあたりでシャンクがころころ気分を変えるあたりはちょっと書き込みが甘い気がした。自分の時代が過ぎたとシャンクが自覚する様子を、もっと堂々とした美しい台詞で表現してほしい。

 一つ、ちょっと文化的な面で話に説得力が無いように思えるところがあった。終盤でトップ女役のハニー(橋本淳)がもう大人だからということで女役を引退し、男役をすることになるのだが、成人の女形を見慣れている日本の観客からするとなぜやめる必要があるのかよくわからないところがあると思う。私も歴史的なことを知っているので頭では理解できるのだが、見ていてハニーが他の女役に比べてとくに男っぽいとは思えないので(橋本淳はかなり綺麗で、日本の舞台なら十分女形として通用すると思う)、なかなか気持ちを切り替えて見るのが難しいところがある。

 一番良かったのは美術である。最初は舞台装置のような雲のベッドに横たわった病気のシャンクが、これまた天国のような雲や空を背景にスティーヴンと話すところから始まるのだが、これがさーっとはけて後ろからかなり綺麗に作り込んだ初期近代のオープンエア型の劇場のセットが登場する。天国風なセットのほうが閉所恐怖症館があり、狭いはずの劇場のほうが解放感があるというギャップがとても良かった。最後にディスカバリースペースのほうからまた雲のベッドに乗ったシャンクがデウス・エクス・マキナのように登場してくるところもとても演劇的だ。

 ひとつ気になったのは、シャンクがスティーヴンに自分が誘拐されたことを話す場面で、なぜか「シルクハットの男」についての台詞があったことである。シルクハットは18世紀の発明品のはずだ。ピューリタンがかぶるような長帽子のことなのかもしれないが、そうだとしたらなんでそんな奴が子どもの誘拐に携わってるのかわからないし…ちょっと原文を見ないとわからないが、いったいあれはなんだったんだろう。