人には金がなくてもメシを食い、酒を飲む権利がある〜ブレヒト『マハゴニー市の興亡』

 白井晃演出『マハゴニー市の興亡』をKAATで見てきた。クルト・ヴァイルが音楽をつけたブレヒトの芝居で、山本耕史主演である。

 奥行きのある暗くて広い平面にピンクの車とか机、イスなどを入れたセットで、上に横長のスクリーンがあり、ここに文字が出る。右端にナレーターが座っているのだが、このナレーターが途中から芝居に参加する。内容は三人の逃亡者が何もないところに歓楽地を作るところから始まり、この街にやって来たアラスカの労働者ジム・マホニーを主人公に、ジムが無銭飲食で処刑されるまでを描く。かなり単純化された寓話的な展開の芝居である。

 『三文オペラ』や『ガリレオの生涯』などに比べると難しい内容だが、私はたいへんに左翼的な芝居だと思った。この芝居におけるマハゴニーは資本主義の象徴であり、ここでは金が人の命よりもずっと重要だ。人を殺しても金さえ払えば刑罰を免れることができるが、無銭飲食をするのは資本主義の最も重要な規律に従わなかったということになるので死刑にされる。これはずいぶん大げさなようだが、今でも持っている財産の額が量刑に影響すると言われていることもあるくらいなので、実は非常に現実的な話である。しかしながら私の解釈ではこの芝居はもっと過激で、単に資本主義が腐敗することを批判しているのではなく、資本主義そのもの、つまり取得すること、土地を占有すること、所有することじたいを問うものだと思う。最初にベグビック(中尾ミエ)、ファッティ(古谷一行)、モーゼ(上条恒彦)が車でやってきて土地を「接収」することで悪徳が始まるというのは、舞台がアメリカであることを考えるとちょっとネイティヴアメリカンの土地を勝手に奪う植民地化を思わせるところがあり、そもそも土地を私有物と宣言することが全ての元凶として描かれている。そしてお客はヒーローというにはいかにも無様なジム・マホニーが死刑にされていく様子を見て可哀想だと思うわけだが、ジムの台詞と運命からくみ取れるこの芝居のメッセージは、人間には一銭も金がなくても生まれながらにメシを食い酒を飲んで酔っ払う神聖な権利があるということだと思う。

 この芝居は、金持ちをさらに豊かにしろとかいうようなムチャクチャなメッセージが書かれたプラカードを抱えたマハゴニー市民がデモをする非常に政治的な場面で終わる。これは一見反語のようだが実際は我々はこのプラカードに書かれたとおりのことがまかり通っている社会に生きていると思う。まあ一般ウケはしないかもしれないし、ちょっと『三文オペラ』なんかに比べるとそもそも戯曲自体が荒っぽくて完成度が低いとは思うのだが、こういう芝居こそ今の日本に必要とされている芝居なんではないかと思った。冷戦はとっくの昔に終わったが、今またブレヒトが必要とされている時代になった。

 演出はけっこう気の利いたもので、歌やダンスも笑える。とくに売春宿のセックスを模した振付はかなり可笑しかった(ただ、あまり人が入って無くて笑い声がそんなに大きく起きなかったのが残念)。山本耕史のジム・マホニーはやたら筋骨隆々でいかにもアラスカ帰りのブルーカラーという感じだったし、ジェニー役のマルシアもなかなかよかったと思う。ただ、山本耕史はどっちかというと『三文オペラ』のマックみたいなもっとカリスマを使う役のほうが向いているのではと思うのだが…是非『三文オペラ』をやってほしい。