野心的だがいろいろ問題あり〜うずめ劇場『アントニーとクレオパトラ』

 シアターXでピーター・ゲスナー演出、うずめ劇場『アントニーとクレオパトラ』を見てきた。

 後方にすだれを細くしたような紐状のものからなるスクリーンを置き、ここにプロジェクションをするというドイツっぽい感じのヴィジュアルである。真ん中は広く使えるようにしてあるが、左手に楽器を置いてたまに生演奏もある。衣装はローマ人はローマ風、エジプト人はエジプト風…ではあるのだが、いろいろアレンジしてあってそんなに伝統的というわけではない。

 いろいろいいところはあるプロダクションである。まず、ヴィジュアルにはかなり気を遣っている。とくにクライマックスのクレオパトラが自殺する場面では、キャストが脚立を持ち出してきて実際に舞台の片付けをしながらクレオパトラの葬式をするというような演出で、これは弔いと芝居の終わりを兼ねているので気が利いているし、ブレヒト的な異化効果も上手く働いている。最後は舞台の中にぶら下げた三角形の布のスクリーンにプロジェクションを用いて死んだ三人の女たちの昇天の様子を映しており、視覚的な工夫がある。

 キャラクターの演出のほうでは、オクテーヴィアス・シーザーをやたら情緒不安定で器が小さいが利口なお姉さん子の若造、オクテーヴィアを弟に頼られる大人しい姉として描き、欠点だらけだが大人物であるアントニークレオパトラと対比させるというところは良い。オクテーヴィアスはとくに面白い人物になっており、オクテーヴィアがアントニーと結婚するところではまるで急に家族と別れることになった子どもみたいに本気で不安そうな表情をしたり、アントニーの死の知らせを聞いた時は安堵の笑いとショックの悲しみがいりまじったような素っ頓狂な反応を示したり、かなり奇矯な青年だ。

 しかしながら主役の2人、とくにアントニーのキャラクター造形には物足りないところがあった。このプロダクションではクレオパトラばかりではなくオクテーヴィアも本気でアントニーに惚れているような演出になっているので、アントニーには中年のいい女を皆とりこにしてしまうカリスマ的な色気が必要なはずだ。クレオパトラアントニーに最初からぞっこんだし、落ち着いた女性であるはずのオクテーヴィアもアントニーに裏切られたと知るとひどく衝撃を受けた表情を見せて悲しがり、アントニーは大変なモテ男として描かれている。ところが肝心のアントニーのキャラクター造形が、世界を支える三本の柱の一本、ローマ一の中年色男というよりは中小企業の頼れる社長さんみたいな感じで、親近感はあるのだがカリスマや色気が足りない。クレオパトラはまあまあという感じだが、前半は気まぐれな女性なのに後半からいきなり政治家らしくなるので少々唐突だ。また、シリューカスがクレオパトラの財産をオクテーヴィアスに申告するところは、シリューカスとクレオパトラが示し合わせてオクテーヴィアスの前で芝居を打ったというふうに演出したほうがいいと思うのだが、そうはなっていなかったので物足りない気がした。

 一番の問題は台詞である。三時間半もある上演で場面のカットは少ないのだが、なぜか台詞を細かく解体して直したりカットしたりしているせいでずいぶんと言葉がわかりづらくなっているし、また華麗な詩がポイントの芝居としてはちょっとこれはダメだろうと思った。とくに謎なのは、おそらく最も有名な台詞であるイノバーバスによるアントニークレオパトラの出会いの回想が大部分カットされていることで、これはなんでカットしたのか全くわからない。後半はとくに台詞が悲惨で、クレオパトラが座って断片的な台詞を読むところは何をしたかったのか全くわからなかった。これだけレトリックが重要な芝居では、下手に台詞を切るとただ意味不明になってしまう。また、役者の台詞回しもシェイクスピアについていけてない感じがするところが多い。

 そういうわけで、全体的には野心的な試みもあるが技術が追いついていない感じの上演だったと思う。