「許してもらえる」比べに負けたフォールスタッフ〜新国立劇場『ヘンリー四世第二部』

 先日見てきた『ヘンリー四世第一部』に続いて『ヘンリー四世第二部』を新国立劇場で見てきた。舞台装置などはほとんど同じで、違いとしては第二部ではシャローの家でちょっとしたカーテンのようなものが使われる程度である。

 第二部まで見ると、全体的に群像政治劇らしい要素が強くなっていると思った。基本的にフォールスタッフの芝居でも、ハル王子の芝居でも、ヘンリー四世の芝居でもなく、均等に注意が分散された演出である。とくに後半ではシャロー(ラサール石井)とかにもけっこう笑える見せ場があり、小さい役にも工夫が見受けられる。

 第二部で明らかになったのは、フォールスタッフ(佐藤B作)とハル王子(浦井健治)には意外と共通点があるということだと思う。このプロダクションのフォールスタッフとハル王子はどちらも野心的な人物だし、生来の魅力をふんだんに持っており、そのせいで何をやっても許してもらえると思っているところがある。おそらく2人とも互いの共通点には気付いているだろう。ところが所詮平民であるフォールスタッフと違い、ハルは王子だ。ハルには身分という強力なアドバンテージがあり、フォールスタッフよりもはるかにいろんなことを大目に見てもらえる。フォールスタッフは最後、ハルとの「許してもらえる」比べに負けて放逐される。ハルが法院長を登用するのは、法院長は法という誰にでもあまねく降り注ぐ秩序を象徴していて、ハル王子すら許さなかったという来歴があるからだと思う。許しの時代は終わって、法の時代が来る。この中で自分は許してもらえたのに他人のことは許さないハル王子は、まんまと逃げおおせたと言ってもいいと思う。

 ヘンリー四世は第一部に続いて自らがリチャード二世から王位を奪ったことを強く気に病んでいる悩める君主で、政治力に欠けているように見える。父とうまくいっていないハル王子には、第一部同様王位を求める気持ちが強くある。亡くなったと思い込んで父王の王冠を手に取り、王が横たわる寝台の上に王冠をかぶってまたいで立つ場面は強烈な野心を感じさせると思った。最後にどうにか責任感を示して父王と和解するが、この諦めと野心が交錯する父と息子の相互理解の場面は比較的ドライに演出されていると思った。使われている王冠が白くてちょっとちゃっちい材質であるのが非常に示唆的で、こんな王冠に対してハル王子が貴重な黄金だとかなんとか呼びかけてこれを欲しがるところには、権力を相対化するような皮肉が隠れていると思う。

 最後まで野心に満ち、王位を獲得するハル王子や、真面目人間に見えてヨーク大司教たちをだまし討ちするランカスター公(亀田佳明)など、終盤は権力闘争に対するシニカルな視点が際立つ演出だった。最後にはクイーンの「プレイ・ザ・ゲーム」が流れて、政治がゲームであることが示唆される。政治劇としてよくまとまった落とし方だと思った。

 おまけ:新国立劇場で熊いじめ?!と思いきや、王座に…