さっさと登場人物同士が殺し合って終わっててほしいと思うレベルのひどさ〜紀里谷和明演出『ハムレット』

 スタジオアマデウスで、Theater Lovによる紀里谷和明演出『ハムレット』を見てきた。とにかくひどかった。単に下手でつまんないというだけではなく、なんかもうただ時間の無駄だったという感じである。メロドラマと小劇場の悪いところを凝縮させたような『ハムレット』で、上演中、早く登場人物が殺し合って終わってほしいとずっと思っていた。

 客席の真ん中に一段高くなった舞台を設け、金網みたいな床と天井にして、スモークとか水とかが上下から出るようにしてある。道具類はほとんどなく、着ているものにも時代性はそんなに無い。このセッティングはそんなに悪くはない。また、この作品は『ハムレット』というよりは『ハムレット』の翻案とか二次創作と言ったほうがいいようなものなのだが、そういうコンセプトも別に悪いわけではない。

 壊滅的なのは台本である。二次創作にするならちゃんと面白くすべきだと思うのだが、そもそも話が意味不明になっている。とりあえずシェイクスピアの台本を脚本家が書き換えて二時間以下に縮めているのだが、これがまあほとんど話がつながっていない。縮約するならQ1に基づいたバージョンみたいにちゃんと話じたいは通ってるのがあるんだからそうすりゃよさそうなのに、なぜか大変重要なはずのホレイシオの役柄をまるっきり削除し、レアティーズにホレイシオとフォーティンブラスの役を全部やらせているもんでレアティーズが人格分裂を起こしている。レアティーズがハムレットの親友キャラという位置づけなのだが、なんてったって最初に先王の亡霊を目撃してハムレットにご注進するんだからクローディアスが先王を殺した疑惑くらいは念頭に置いておいてよさそうなもんなのに、終盤ポローニアスが殺されるとクローディアスにコロっと騙されてハムレットに決闘を挑む。ここでクローディアスの意図を疑わないとかどんだけ鈍いんだこのレアティーズは。そしてそんなにぶちんが最後、生き残って自分が殺したハムレットから王位を譲られるという驚愕のオチ(いやこれ、簒奪だろ?!)。こんな調子じゃデンマーク王国は一瞬でつぶれるに違いない。さらに知性を象徴するホレイシオがいないとハムレットが親友と知的な会話をするところが一切なくなるので、ハムレットの知性のひらめきが一切なくなってものすごく単純な人に見える。もちろんホレイシオが言う名セリフ「おやすみなさい、素敵な王子様」も無い。

 さらに場面の順番を無茶苦茶にしているせいでオフィーリアのキャラが悲惨なことになっている。なんと尼寺の場の後にすぐオフィーリアが本気で尼寺に入るとか言いだし、さらに狂気に陥るので、オフィーリアはハムレットにふられたから狂ったというつながりになっている。若くて健康な女がたいした説明もなしに失恋だけが原因で狂気に陥ってしまうので全体が異常にセンチメンタルで安っぽくなっている。原作でもオフィーリアの扱いは気の毒だが、親父さんが恋人に殺害されて狂うんだからそりゃ正気を失ってもしょうがないと思えるところがあるものの、この演出ではオフィーリアは単にめそめそしているだけの実につまらない女である(死んだ後ちょっと出てくるが、まあお察しという感じだ)。狂気の場面の演出も本当にわざとらしくてちったあ考えろと思った。こんなひどい演技のオフィーリアを見ているとさっさと死ねとかひどいことを思ってしまうわけであるが、そんなことを考えていたらなんとオフィーリアがいきなり舞台上で剣を用いて自殺してしまった。せめてちゃんと溺死くらいしろ!!なお、このプロダクションはオフィーリアだけではなく全体に女性の扱いがひどく、ガートルードは最後に後悔して自殺するというなんでそんなことになるのかサッパリわからない解決を見せる。ガートルードについては良心に任せろって亡霊も言ってるし、しょうもないクズ男に騙されただけなのになんで自殺させる必要があるんだよ…

 原作の有名な台詞をほとんど使わず、いちいち状況とか感情を説明する安っぽい台詞が付け加えられているのも問題である。わかりやすくしているつもりなんだろうが、そんなもんは演技で十分わかるだろということまで全部台詞で説明するので、『ハムレット』特有のミステリアスな魅力やレトリックの美しさはゼロである。わかりやすく台詞を追加するのがダメというわけではなく、子どものためのシェイクスピアシリーズとか川崎でやってるCasual Meets Shakespeare(このプロダクションもカットしすぎでたまに意味不明だが)みたいにもうちょっとうまくやってるところもあるのだが、このプロダクションはとにかく説明ばっかりで面白みが無く、さらにいじくった台詞の語彙がかなり微妙である。たとえばガートルードが「拐かされた」と言ってたのだが、ガートルードは拐かされてねーよ誑かされたんだよ。さらに役者が絶叫しまくりでほんと頭を抱える。

 あと、基本的にこの演出家は『ハムレット』が政治劇だということを全然理解していないみたいである。デンマークが戦争中だということになっていたり、王冠の権力を批判(批判っていうか、批判の説明?)する薄い台詞が付け加えられていたのだが、権力を相対化する台詞として全く機能してないのでなんじゃこりゃと思っていたところ、後でチラシを読んだら紀里谷和明がこんなこと言ってた。

権力を求める発端って、コンプレックスだと思うんです。それこそ今ってSNSのフォロワー数がある意味権力として働いているじゃないですか。それも他人に認めてほしいというコンプレックスが発端になっているんじゃないでしょうか。


 ということはつまりこの演出家には、ハムレットが王子であり、デンマークという国家と神に対してどういう責任を負っているかとかそういう発想が全く無いらしいのだ(この責任を相対化するという演出はあり得るのだが、そもそもおそらくそれが眼中に無い)。なんかもう頭が痛くなった。個人的な話にするならそれでいいのだが、そんなら妙な薄い権力論とか20世紀の遺物的な精神分析チックななんちゃらは入れないで全部ドメスティックな話にしていただきたい。

 ちなみに紀里谷和明は同じチラシで「これまでのものとはまったく異なる『ハムレット』になるはず」とか言っているが、実は私は今年これと似た感じだがさらに出来の悪い砂地の『ハムレット』を見たので、まったく異なるどころか同じようにひどいって感じだった。なんで今年の日本の『ハムレット』はこんな不作なんだ。ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの『ハムレット』は自分史上最高レベルの出来だったのに。