POV、手持ち、客観〜『シン・ゴジラ』

 『シン・ゴジラ』をやっと見た。ゴジラエヴァンゲリオンも一切見たことが無く、TOHOフリーパスがもらえて時間ができなければ行かなかっただろうと思う。ということで、けっこう面白いとは思ったのだが知識がなさすぎてあんまり分析できない…

 ひとつちょっと気になったのはPOVショットと手持ちカメラの使い方である。映画は海に取り残されたボートを調査するというところから始まるのだが、ここでは調査をしている海岸警備の人たちが手持ちカメラでボートを記録するという、それこそ『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』かなんかかというような古式ゆかしいPOV撮影になっている。ちなみにこの場面はどうやらファウンドフッテージであるらしい(撮影者はおそらく生きてないだろう)。この他にも前半はけっこう一般人POVでファウンドフッテージ風に撮ったブレブレの手持ち撮影がけっこうあるし、ニコニコ動画らしい映像とかツイッター画面などいろいろと一般人POV的な映像がたくさん出てくる。ところが日本政府を撮る時は画面が非常にクールというか客観的で、手ぶれも少なく、プロらしい撮り方になっていて、一般人POVの素人っぽい撮り方とは対比がつけられていると思う。中盤からこういう一般人POVがほとんどなくなっていくというのは、こちらのエントリで指摘されているように「群衆からひとつの「人民」=リヴァイアサンへ」という展開だからだろうと思うのだが、一方で内閣のメンバーがほぼ死亡して矢口たちが立川に本部を移動するところで急にブレッブレの手持ちによるもの凄く不安定な映像が一瞬だけ現れる。これはある種の体制のぐらつきを示しているのかもしれない。ところがその後は相変わらず例の安定的な撮り方に戻り、最後にゴジラが凍結された後、避難所の場面でまた一瞬だけ一般人POVの手持ち撮影が現れる。個人的にはこの中盤以降に二度、たいへん印象的に用いられている手持ち撮影が気になるところである。最後の避難所POVはリヴァイアサンから群衆へ注意が戻っていることを示すんだろうか?


 この作品はベクデル・テストはパスしない…のだが、石原さとみ演じるカヨコにはリアリティがあまりにもなさすぎたので(なんかもう台詞回しが悪すぎて見てて苦痛だった)、カヨコと他の女キャラが話さなかったのはむしろちょっと感謝したいかもしれない。なお、全体的に早口である種のリアルさを追求した会話の撮り方になっているのだが、そのせいで台詞に聞き取りづらいところが少々あるので、作戦中は音楽を使わないほうがいいんじゃないかと思った(台詞が聞こえなくなるし、クールなトーンを損なう気がする)。