冴えない芸術家志望たちの芝居〜松尾スズキ『キャバレー』

 松尾スズキ演出『キャバレー』を見てきた。言わずと知れた有名ミュージカルの再演で、既に一度ロンドンで見たことがある(最後凄いショッキング演出があった)。サリーが長澤まさみ、クリフが小池徹平、MCが石丸幹二で、ステージは二階建てである。二階にはバンドがいるが、ステージ内の階段をのぼって上の階で演技もできるようになっている。

 全体的にMCが物語の枠を作るような演出である。冒頭は第二次世界大戦中、空襲の恐怖に怯えるベルリンで、ボロボロのキャバレーの外に古びた看板がある。この看板からMCが出てきて芝居が始まり、最後はMCがまた看板から退場し、荒廃したベルリンに戻って終わるというふうになっており、全体としてナチス政権と第二次世界大戦のほうで崩壊したベルリンが、華やかだったキャバレーの時代を振り返るという構成になっている。

 主役の若いカップルは2人とも非常に冴えない芸術家という感じである。『キャバレー』のサリーはおそらく本来、二流のショーガールという設定だと思う。映画版のライザ・ミネリがまさにベルリンの夜の花形という感じで一流のパフォーマーだったのだが、おそらく話の展開からしてもともとのサリーはあんまりぱっとしないショーガールだ。このプロダクションでは長澤まさみの「二流感」がとてもよく働いていて、かえってよかったと思う。長澤サリーは可愛いし頑張ってるのだが歌唱力もそこまで高くはないし、そもそもステージでの存在感みたいなものがあんまり無い。名曲「キャバレー」を歌うところは悪くはないのだが、これで1人で30分とかは保たせられないだろうなーと思う。このステージプレゼンスの軽さのせいで、サリーが「私は歌手なのに」みたいなことを主張した時、周りのキャバレーの連中が軽蔑的に笑う場面などがすごい残酷さとリアリティをもって迫ってくる。長澤サリーは、健気に頑張っているけど永遠に一流になれない夢見射るショーガールなのだ。

 小池クリフは、舞台における華やかな存在感という点ではむしろ長澤サリーよりも多く持ち合わせていると思う。しかしながら作家志望にしては根性が汚くないというか(!)、わりと真面目なところがあって完全な遊び人やワルにもなれないし、一方で意志が弱くてなかなか書けないみたいな中途半端なところがあり、なかなか一流にはなれなそうだ。こんな2人がベルリンで夢を見ながら暮らしており、最後は別れてベルリンは戦争で荒廃…というふうになるので、若々しい夢が終わっていくようなほろ苦い終わり方になっている。

 演出としては第一部の終わりに「明日は我がもの」を皆が歌うところで、ばかでかいハーケンクロイツの幕が上から下りてくるところが視覚的にショッキングだった。このほかには第四の壁を破ったり、時事ネタを盛り込んだり、アドリブがあったり、けっこう自由でコミカルな演出だ。ギャグについてはたまにやりすぎと思えるところもあったが、うまくいっているものもある。ゲイテイストはやや控えめだと思う。