世紀転換期フランスの演芸の明暗をひもとく〜『ショコラ 〜君がいて、僕がいる〜』

 『ショコラ 〜君がいて、僕がいる〜』を見てきた。世紀転換期に実在したアフリカ系の道化師、ショコラとその相棒である白人の道化師フティットの生涯を描いたものである。

 物語は、ドサ周りのサーカスで野蛮人の出し物をしていたカナンガ(オマール・シー)のセンスを見抜いたスランプ気味の道化師、フティット(ジェームズ・ティエレ)が道化師コンビの結成を持ちかけるところからはじまる。カナンガはショコラと改名し、持ち前のセンスで観客を引きつけ、2人のコンビはパリを席巻する。ところがショコラはフティットにバカな黒人として尻を蹴られるだけのショーに苦痛を感じるようになり、もっとシリアスな出し物に進出しようとする…という展開である。

 ショコラとフティットの出し物が今の感覚からするとビックリするほど人種差別的だったりする一方、2人の笑いのセンスがずば抜けていたことはわかるように演出されているのが面白いし、これがこの映画の一番のポイントだと思う。演目自体は今では到底面白いと思えないようなものなのだが、サーカスの舞台で2人が客の反応を読んでエネルギッシュに動き回るところをうまくとらえているので、演目自体は面白くなくても2人の芸じたいが革新的であったことはなんとなくわかるようになっている。2人の芸はリュミエールが記録しているのでサイレント映画で残っており、最後にこれも見ることができる。

 ショコラがフティットに芸を教わるまでは、黒人が白人の師によって引き立てられるという月並みな展開なのだが、ショコラがハイチ出身の自由思想家ヴィクトールと出会い、黒人をバカにすることで笑いをとる自分たちのショーに不満を覚えていくあたりからだんだん人種差別のひどさやショコラの苦悩を示す痛々しい描写が増えていく。また、ふつうの描き方なら人種差別に鈍い困った人になりそうなフティットについてはクローゼットな同性愛者であることが強く示唆されており(少しショコラに恋心を抱いているのではと思うところもある)、深みのあるキャラクターになっている。

 ただ、ショコラがフランスで初めて『オセロー』のタイトルロールを演じた黒人の役者でこれが大失敗した、という史実は脚色らしい。国外から来た役者であれば既に1860年代にシェイクスピア業界初の黒人スターであるアイラ・オルドリッジがオセロー役をフランスで演じているはずだ。ショコラがフランスの役者として初めてオセローを演じた黒人男性だというのは本当らしいが、これはヴェルディのオペラをパロディにした短い場面を演じたということだったらしい。『オセロー』の場面は、オマール・シーの演技は良いのだがちょっと見せ方がダサいと思った。ベルエポックのフランスの舞台というのはああいう感じだったのかもしれないが、デズデモーナを絞め殺す場面の描写が、あの規模の箱でああいう動きでは遠くから見映えがしなくてちょっとよくない。

 全体的にとても面白い作品だった。ただ、コンテクストがわからないところもけっこうあるので(道化師のタイプ分けとか)、できればこの頃のフランスの演芸に詳しい人にレビューを書いてほしいと思った。また、女性登場人物がかなり少ないのでベクデル・テストはパスしない。