ゴミみたいな舞台、ゴミでない内容〜カクシンハン『マクベス』

 木村龍之介演出、カクシンハン『マクベス』を見てきた。プログラム作りを少しだけお手伝いしたので、招待だった。

 全体的にとにかく舞台がゴミみたいなのが特徴である。内容は全然ゴミではないのだが(むしろゴミの逆)、セットの見た目がゴミの山みたいに汚い。最初はわりとシンプルな舞台で、剣のかわりにパイプ椅子を持った人々が戦ったりする程度なのだが、最後に近づくにつれてどんどん汚くなってくる(サミュエル・ベケットの「息」の舞台美術みたいな感じ。これとかこれとか)。全体的に舞台を汚くすることで、政治的な闘争を不条理でバカげたものとして相対化していると思う。本人たちは大まじめだが、はたからみると王位をめぐる戦いは非常にちっぽけな人間の営みにすぎない。

 まず、真以美演じるマクベス夫人が祝宴の場面の前にパイプ椅子を舞台にばらまくところからだんだん舞台の見た目が汚くなる。祝宴の場面では移動式のラックに山のようにスナック菓子が積まれた状態で出てきて、壮麗なはずの宮廷の祝宴をただの安っぽい飲み会みたいに見せる。右端の宮廷の入り口という設定になっている場所を通るとファミマの入店音が鳴るようになっており、バンクォー(白倉裕二)の亡霊はファミマの入店音とともに現れる。バンクォーの亡霊を見たマクベス(河内大和)がスナック菓子をまき散らしたりするので、舞台はゴミ捨て場のような惨状になってしまう。だんだん暗殺やらなんやらが増えてくると今度は舞台に白っぽいシートが敷かれ、半透明ゴミ袋に入れられた死体が散乱するようになる。ゴミまみれになっても自分の王国にしがみつくマクベスと、そんなゴミ捨て場を欲しがるマルカム王子(鈴木彰紀)、どっちもそんなに高貴な目的で動いているようには見えない。マクベスが倒れるところは役者たちが椅子に横になって座り、まるでマクベス夫妻の死体を上から見ているかのような空撮っぽい効果を出しているのだが、ここでマクベスが死んで喜んでいるマルカムの軍の人々は全然、正義を回復したという感じではなく、むしろこれからのスコットランドの政情が思いやられるといったような印象だ。

 他に演出の面白い点としては、女役の扱い方がある。まず、魔女が3人の女性ではなく、白っぽい服を着た男性の大軍になっている。あまりにも大人数なのでけっこう迫力がある。ヘカテ(岩崎MARK雄大)は男優が演じているのだが一応魔女で、性別不明の妖艶さがある。マクベス夫人はマクベスにあわせて坊主頭に赤い衣装を着ているのだが、面白いことに終盤ではマクベス夫人がずっと舞台下で手をこすりながら夢遊病の状態で観客に見えているという演出を行っている。マクベス夫人は台詞が強烈なわりに出番があまり多くないのだが、こうやって病気の状態がずっと見えているというのは何か痛々しいものを感じさせる。最後はマクベスマクベス夫人が死んで、舞台奥、立った状態で寄りそって死ぬ2人に日の丸みたいなライトがあたり、さらに日の丸の真ん中、ふたりの顔の位置に白っぽいスポットがあたるという照明の演出が行われており、ここは『薔薇戦争』同様の国旗を用いた政治諷刺が行われている一方、この2人が死によってやっと愛の世界で落ち着きを得られたのだということも暗示していると思った。

 こんな感じで、政治闘争の不条理さ、空しさなどを前面に押し出した演出で大変面白かったと思うのだが、あまり機能していないかもと思うところもあった。空耳英語を使った台詞は面白おかしいがちょっとくどいのではという気がしたし、ミスチルの「放たれる」の歌を使った場面は、わりとドライな他の場面に比べるとちょっと喚情的にすぎるように思った。