シンプルな政治劇〜ラゾーナ川崎プラザソル『ハムレット』

 ラゾーナ川崎プラザソルで西沢栄治演出『ハムレット』を見てきた。若い役者を揃えたプロダクションで、シンプルだが力のある政治劇だったと思う。

 張り出し舞台にはほとんど何もなく、大変シンプルなセットだ。後ろに白いカーテンがあり、カーテンの隙間から入退場できる。カーテンの上には白い服がたくさんかけてある。たまに椅子とか石などが持ち込まれることもあるが、大がかりな道具類は一切使われていない。全体をかなりカットして2時間半にしており、複雑な枝葉は取り除いた感じの上演だ。

 『ハムレット』には、"To be, or not to be"(生と死、現状維持と現状否定、安定と変化)という問いに対して"Let be"(成り行きにまかせる、なるように生きる)という解決が与えられるという台詞上の展開があるのだが、これをものすごく強調した演出である。最初にプロジェクションで"To be, or not to be"という文字が出て、ハムレットがこの台詞を言うところからプロダクションがはじまる(この独白ではじまるプロダクションを見たのは個人的に4回目くらいかな?)。最後は"Let be"という文字がプロジェクションで出て、ビートルズの"Let It Be"までかかるという強調ぶりである。ハムレット(梶原航)も、最初はいろいろな悩みのせいでものすごく不機嫌そうでイライラして不愉快な感じだったのが、だんだん最後は落ち着きと余裕を身につけるようになり、リラックスして運命を受け入れようとしていくというような演技で、このテーマを浮かび上がらせている。

 シンプルで台詞に沿った展開だが、政治劇としての側面をかなり前面に出している。クローディアス(チョウヨンホ)は普通より若めなのだが、若さに似合わない狡猾さを持ち合わせた腹に一物ある政治家という感じだ。妹思いで心優しく純粋なレアティーズ(大郄雄一郎)を自分の鉄砲玉にしようと言葉巧みに説得するあたりは実に策略家らしい。墓掘り人たちが「デンマークノルウェーの間に壁をたてよう!」「それは誰かのパクリじゃねーの」みたいな会話をするあたりは時事ネタをしつこくなくとりこんでいて、これも政治諷刺劇らしい味わいを出している。一番面白いのはフォーティンブラスを演じているのが白人の若い役者(ジリ・ヴァンソン)だということである。フォーティンブラスだけ髪の色も目の色も違い、着ている衣装も青が華やかなヨーロッパの軍人の礼装で、立ち居振る舞いも貴公子然としている。台詞回しはナチュラルなのだが、いかにも外国生まれの人がとても綺麗な日本語を習った時の不自然さみたいなのがアクセントに見え隠れする。最後にこのフォーティンブラスがデンマークを治めると言い出すあたり、日本のプロダクションには珍しく帝国の覇権の力を感じさせるところがあり、面白かった。

 シンプルながら笑いのツボをおさえ、政治劇らしくまとめていて面白いプロダクションだったのだが、若手中心というところもあってとくに序盤、台詞回しに硬さが見られたり、早口で台詞がつっかえたりしているところがあったのは少し残念だ。あと、オフィーリアとレアティーズの兄妹が非常に信頼しあっていることを演出で出しているのはいいのだが、一方でオフィーリアが「尼寺の場」の後で上からバケツみたいな水をかぶせられるという演出はちょっとどうかと思った。見た目が過剰すぎる上、またここで舞台に水を撒くと清掃のために休憩を入れないといけなくなるので(ローゼンクランツとギルデンスターンが掃除してた)、アクションの流れが悪くなると思う。『ハムレット』は、どんなに早く休憩を入れるにしても劇中劇まではノンストップでやったほうがいいと思うのだが。