「つぶしの効く教育」をぶっとばせ!〜『天使にショパンの歌声を』(ネタバレあり)

 レア・プール監督『天使にショパンの歌声を』を見てきた。60年代カナダ、ケベックの女子修道院付属音楽学校を舞台にした作品である。

 日本語タイトルはほとんど内容に無関係…というか、そもそもショパンピアノ曲が主な専門だし(一応「別れの曲」はキーポイントで出てくるが)、『天使にラブソングを』みたいな映画では無い。原題は『オーギュスティーヌの受難』(La passion d'Augustine)だったそうだが、まさにそのとおりの内容だ。音楽学校を守るため、世間の潮流と聖心女子修道院本部の両方を敵に回して奮闘する修道女で校長のオーギュスティーヌ院長(セリーヌ・ボニアー)の努力と挫折を描いている。さらにオーギュスティーヌの妹は病気、修道院に預けられたその娘アリス(ライサンダー・メナード)は反抗的で、個人的なことがらのほうでも問題が起こる。

 面白いのは、オーギュスティーヌが運営している音楽学校は信仰に基づいたいかにも昔風の性別分離教育をしているようだが、実は聖心女子修道院総長が打ち出している「新しい」方針に比べるとはるかに貧しい子や障害のある子を含めて女性の才能を伸ばせる高度な芸術教育を行っているという逆説である。総長(もちろん女性)は少女たちが良き妻になれるような教育を…と言ってオーギュスティーヌの学校をつぶそうとするのだが、こういう良妻賢母教育、あるいは「つぶしの効く」「実用的な」教育は、実のところ長きにわたり女性を政治や企業のリーダーに求められる幅広い教養からも、専門家として活躍するために必要な特殊な才能をのばすことからも遠ざけてきたものであり、女性を低い地位に押しとどめるものだった。一方でオーギュスティーヌが提供している高度な音楽教育は女生徒の芸術的才能を伸ばして音楽家や音楽教師になるキャリアを開き、人生をも豊かにするものだ。オーギュスティーヌは「自分の学校は金持ちの学校ではない」と言っており、あまりお金のない子も入ってきているようだし、吃音症の生徒も受け入れている。よく、プロテスタントカトリックフェミニズムの違いで、プロテスタントは男女を分離せず平等になることを目指すがそのぶん構造的な差別が温存されやすいところもあり、一方でカトリックは分離によって女性の独立性を高めて女性のエリートを養成するようにすると言われているが、オーギュスティーヌの音楽学校はまさにそういう感じのカトリック的なフェミニズムを追求していると思う。

 中盤くらいまでは学校存続のための戦いやオーギュスティーヌとアリスの関係、修道女たちの個性、世俗の人々(有力者の夫人などの女性も含む)とのかかわりなどをバランスよく描いている(ベクデル・テストはもちろんパスする、というか、大部分は女性同士が音楽とか学校とか信仰について話すことで成り立っていて男性はわずかしか出てこない)。ケベックの田舎の雪景色などをまじえた映像も良いし、要所要所で出てくる音楽もとてもよい。終盤、総長が裏工作で学校を売ってしまって以降はちょっと展開が飛ばしすぎの印象もあり、総長の考えやオーギュスティーヌの還俗などをもっと丁寧に描いたほうがいいのではという気はする。