帝国とシスターフッド〜パク・チャヌク監督『お嬢さん』(ネタバレ及び猥褻な表現あり)

 パク・チャヌク監督作『お嬢さん』を見てきた。これ、原作はサラ・ウォーターズによるヴィクトリア朝を舞台にしたミステリ『荊の城』である。舞台をイギリスから植民地時代の朝鮮半島に移し、結末などもかなり変更している。
 1939年の朝鮮半島、ヒロインのスッキ(キム・テリ)は詐欺の一味のひとりとしてメイドに変装し、日本の華族令上秀子(キム・ミニ)が朝鮮人の叔父、上月(チョ・ジヌン)に引き取られて暮らしている大きな屋敷に奉公に出る。一味の男(ハ・ジョンウ)が「藤原男爵」(便宜上この後「藤原」とする)を名乗って秀子に近づき、結婚した上で財産を奪い取るのが目的である。ところがスッキはだんだん美しい秀子に心引かれるようになっていき…

 とりあえず原作を大変上手に帝国主義の時代の朝鮮半島に移して翻案していると思った。ただ、人生の厳しさを容赦なく描きつつ深い余韻を狙った原作に比べるとこちらの映画はかなり明確な恨みと情念の復讐譚になっており、スカっとする落とし方(と言っていいのかわからないが)が付け加えられている。最後にスッキと秀子が組んで上月も藤原も裏切るというフェミニズム的な展開になっており(ベクデル・テストはパスする)、女性同士が団結して男に一杯食わせる様子をお色気満載で描いているという点ではウォシャウスキー姉妹の『バウンド』なんかを思い出させるところもある。これまで無理矢理読まされてきたポルノグラフィの中から男性中心的な箇所を捨てて面白そうなところだけ見習いつつ、爽やかにぶっ飛んだセックスを楽しんで新天地に船出する女たちと、お互い尾羽うち枯らしてボロボロなのに死ぬまで自分のチンコのことばかり考えている藤原と上月を対比する終わり方は実に辛辣だ。

 また、この映画は舞台を日本の占領下にある朝鮮半島に持って行ったことで原作よりもずいぶん政治的意味合いが加わってきていると思う。上月は朝鮮半島出身なのだが、宗主国である日本に対してフェティシズム的な情熱を抱いており、日本に完全に同化しようとしている。この宗主国に対するフェティシズムとコンプレックスはおそらく上月の性的異常性と関係があり、宗主国に媚びへつらい取り込まれることで自分の元のアイデンティティを抹消したいというある種の政治的なマゾヒズムと、ポルノグラフィに拘泥し女たちを虐待しようとする性的なサディズムがコインの裏表のようになっている。さらに上月は自分の生まれもポルノグラフィへの愛好も隠蔽しようとしており、彼は全てを隠しておこうとする。あまり適切な比較とは言えないかもしれないが、同性愛抑圧と体制順応、ファシズムへの加担を結びつけた『暗殺の森』に近いところがある気がする。こういう帝国主義と性的異常性の結びつきは上月が秀子に綺麗な白い着物を着せてポルノグラフィを朗読させるところに顕著なのだが、上月は日本の豪華な着物を秀子を抑圧し、従属させるための装置として使用している。日本好きの朝鮮人男性上月が日本女性である秀子に日本の衣類を着せて鑑賞し、自分の快楽のために搾取するというのは、上月の歪んだ権力志向を強烈に示す場面だと思う。
 一方で女たちがこういう日本による植民地支配の枠組みを超えてシスターフッドで結びついてしまうところは、日本のフェミニスト女性としてはビックリするくらいポジティヴに描かれていて少々居心地が悪くなってしまうくらいだった。日本の家族である秀子は朝鮮語を話し、朝鮮半島の貧しい少女であるスッキも日本語を話すのだが、2人は最終的に身分も帝国主義による分断も越えて愛し合い、結びつき、共謀者になる。女の絆が帝国主義も男性支配(これは日本だけじゃなく朝鮮半島の男性支配も入る)も打ち負かしてしまうというのはちょっとユートピア的とも言える展開だと思った(しかもえらいセクシーなユートピアである)。
 全体的に大変面白くてよくできている作品だと思うが、ひとつ残念だったのはキャストの日本語が全員、かなりイマイチであるところである。スッキ以外は設定では日本語がネイティヴかそれに近いという設定なので、もうちょっと工夫すべきだったと思う。