強制結婚から逃げる母娘を乗せたデコトラがパキスタンを疾走!〜『娘よ』(ネタバレあり)

 アフィア・ナサニエル監督のパキスタン映画『娘よ』を見てきた。

 パキスタンで強制結婚させられそうになった娘を連れて逃げる母の話だというので、重たい雰囲気のアートハウスな映画を想像して行ったのだが、びっくりするほど娯楽の王道という感じの作品だった。舞台はパキスタンカラコルム山脈の村。部族間抗争を収拾するため、部族長ドーラットの娘であるわずか10歳の少女ザイナブ(サーレハ・アーレフ)は祖父といっていいような年齢の対立部族の長、トール・グルと結婚させられることになる。この強制結婚から逃げるため、ザイナブの母アッララキ(サミア・ムムターズ)はザイナブを連れて逃亡する。息を呑む逃避行の中、母娘はド派手なデコトラにこっそり身を隠す。トラック野郎のソハイル(モヒブ・ミルザー)は最初は面倒に巻き込まれるのを恐れて2人を嫌がり、追いだそうとするが、ついつい気の毒な母娘にほだされてしまう。実はソハイルは元ムジャヒディンであり、戦士をやめて愛する女性と結婚した後、寡夫になってしまったという過去があった。ソハイルとアッララキは、アッララキに横恋慕していて執拗に追いかけてくるドーラットの弟、シェフバーズと対決することになるが…
 
 女性虐待と子どもの意志を無視した家父長制の横暴を描いた社会派の作品である一方、雄大パキスタンの風景をバックにド派手なデコトラが疾走するカーアクションはまるで『マッドマックス 怒りのデス・ロード』かというような雰囲気で、手に汗握るエンタテイメントである。そこらのおにいさんかと思ったら突然、異常な強さを示すソハイルに対して「あなた…誰なの?」とびっくりしたアッララキが尋ねて、それをきっかけに彼の過去が明らかになる展開などはなかなかスリリングだ。

 物語のほうはあまり詳しく言葉で説明をせず、動きや表情でわからせるような演出が多くなっており、そこはアメリカなどのアクション映画とはだいぶ違う雰囲気だ。ソハイルが元戦士という設定はおそらくパキスタンあたりではリアルなのかな…と思ったのだが、ちょっと考えると日本でも昔復員兵だったトラック野郎なんて戦後はけっこういたはずだし、戦争で傷ついてしまった人の後の暮らしをあまり説明的でなくさらっと撮っているところが良いと思った。ソハイルが助けを求める山あいの村人とかはおそらく戦友と思われ、何かソハイルに恩を感じているようなのだが、そのあたりもはっきりとは語られず、ソハイルが相当な修羅場をくぐってきて、母娘を助けようとしたのはどうやら彼自身が暴力に傷ついてしまったからであるらしいことが漠然と暗示されるだけだ。

 アッララキは非常に責任ある母親として描かれているのだが、ザイナブは田舎でのんびり育ったせいなのか極めて子どもっぽい。この2人の会話などは全体的にうまく描写されており、ベクデル・テストはこの2人が冒頭で行う英語に関する会話でパスする。ザイナブの子供っぽさの例としては、たとえばザイナブは冒頭で年上の女友だちに、男の子が振り向いて女の子をじっくり見ると女の子が妊娠するんだというような話を聞かされて信じてしまう。結婚が決まった後、アッララキに「どうやったら子どもができるか知ってる」とザイナブが吹聴し、アッララキに耳打ちで何か話すところがあるのだが、ここは観客には聞こえないもののおそらく前に聞いた話をそのまま信じてアッララキに話している。この場面のアッララキの表情から、まだこんなことを信じている子どもであるザイナブを結婚させることはできないという決意が想像できるようになっている。またまたザイナブはアッララキにじっとしているように言われたのに犬と遊んでいなくなってしまったり、トラックでトイレが我慢できなくなったり、本当に手のかかる子どもとして描かれていて、こういう細かい描写が見ていて非常にハラハラする。子どもを連れて追っ手から逃げるのは本当に大変だ。

 きちんとしたエンタテイメントである一方、アッララキが娘や娘の家族のことばかり考えていて、結局ソハイルとの恋が実らないという落とし方は現実的だし、また異性愛を特権化しないリアルな描き方だと思った。あんだけ苦労を抱えていては、いくらいい男が目の前にいてもなかなか色恋のことなんか考えられないだろうし、今まで男からされてきたことを考えれば、心が弱ってしまって危険を冒してでも女の親族とかに頼ろうと思うのは理解できる。アッララキが危険でもいいからお母さんに会いたいとか言い出すのはそういうことだろう。またそもそもアッララキは自由で主体性のある恋愛などというものを一度も経験したことがないと思うので、ソハイルとのロマンスがほとんど進展しないまま悲劇的な結末が訪れるのも悲しいが説得力がある。そんなアッララキに純粋な思いを捧げ続けるソハイルはなかなか気の毒に見える。