ホレイシオ視点のハムレット〜東京芸術劇場『ハムレット』プレビュー公演

 ジョン・ケアード『ハムレット』を東京芸術劇場で見てきた。新学期が始まるとスケジュール的にきつくなるので(『オテロ』と『フェードル』が始まるし)、プレビューに行ってきた。このため台詞などはまだちょっとできあがっていないところがあって、あんまり良いレビューとは言えないかもしれない。

 四角い台みたいな舞台に照明で変化をつけ、1人で何役もこなすという演出である。台の右手で尺八などの生演奏が行われ、台の下を役者が歩いて出てきたりするあたりは能舞台を意識しているようだ。光と影のコントラストが巧みな照明は大変綺麗で、場面ごとのメリハリもある。衣装は全体的に和風である。

 全体の特徴としては、ホレイシオ(北村有起哉)が枠を作っているというところがあると思う。最初と最後はハムレットではなく、書生のような服装のホレイシオが台の目立つところにしゃがんでスポットをあびるという作りになっていて、この芝居はホレイシオがフォーティンブラスに語っているお話だろうという印象を受けた。そうなると当然、ハムレットは友誼に篤く立派な王子ということになるので、全体的にけっこうシンプルでくせのない演出になる。尼寺の場とか居室の場みたいなホレイシオがいなくてハムレットと女性が相対する場面の演出が妙にあっさりしていると思ったのだが、これはおそらくホレイシオ視点だからなんだろうなーと思う(ホレイシオには亡き王子を悪く言いたくないという気持ちがあるだろうし、実際に見ていないものは説明しづらい)。前の場面が終わりきらないうちに次の場面の役者が出てくるような場面転換も、ホレイシオみたいに知的で秩序だった考え方が好きな人が記憶を辿りながら話す時のナラティヴを模しているように感じた。
 
 ダブルキャストはけっこう予想できるところも多く、國村隼がクローディアスと亡霊を演じるあたりは定番である(私はもっと少ない人数でやる『ハムレット』も見たことあるのだが、そこまで人数を減らさなくてもこの2人はダブルキャストにすることがわりと多い)。國村隼はさすがの演技で、クローディアスはいかにも凄味のある政治家という感じだ。ハムレット(内野聖陽)とフォーティンブラスをダブルキャストにするのは、最後ハムレットの死体がなくなるのでちょっとどうかな…とも思う。一番面白いのは貫地谷しほりがオフィーリアとオズリックを演じていることである。しかもこのオズリックは明らかにレアティーズ及びクローディアスと共謀しており、オズリックはアホな宮廷人みたいに演出されることが多いので、この暗くて陰謀慣れしたオズリックはあんまり見たことのない斬新な演出だ。しかもオズリックが美少女みたいな外見なので、死んだオフィーリアが化けて出てレアティーズと共謀し、デンマーク宮廷の人たちを呪い殺そうとしてるみたいな雰囲気が出て面白い。