理性とロマンス、バランスのとれた啓蒙〜『美女と野獣』(ネタバレあり)

 実写版『美女と野獣』を見てきた。アニメ版もコクトー版も最近のフランスの実写版も見ておらず、この話に関する映画を見るのはこれが初めてである。

 お話は誰でも知っているおとぎ話であるので説明の必要もないだろうが、たぶんこの話で一番問題になりそうなのは、野獣(ダン・スティーヴンズ)がベル(エマ・ワトソン)を監禁するところから話がはじまるということである。監禁した相手の男性を愛するようになるなんていう話は現代女性には好かれにくいし、またディズニーの映画は子どもに見せるものでもあるので、DV気味のボーイフレンドに若い女性(この映画の場合、男性も)が尽くすような話はあまり教育上よろしくないとも言える(十代のデートDVはかなり深刻な問題だ)。

 しかしながらこの映画ではできるだけそういう話にならないよう工夫をしている。野獣がベルを牢獄に入れたのは盗難に関する人質にするためで、恋をお膳立てするのは完全に呪いの解除を望む周りの人々だし、野獣はベルに対して命の脅威などを加えることもない。野獣はかなり繊細で気の毒な存在として描かれていて、だいぶトーンがやわらげられている。ベルは知的でしっかりした判断力のある若い女性で、他の女性キャラクターといろいろな話をするのでベクデル・テストもパスする。
 一方で恋敵のガストン(ルーク・エヴァンズ)は本当にひどい男として描かれている。イケメンなのを鼻にかけてベルの気持ちを全く尊重せず追い回す一方、自分に惚れているゲイの友人ル・フウ(ジョシュ・ギャッド)の優しい気持ちを利用して悪事の片棒を担がせようとするなど(はっきりとは描かれていないがあれはガストン、ル・フウの恋心に気付いているだろう)、まさにクズ野郎だ。この映画においてDV野郎に尽くしているのはベルよりはル・フウで、実に可哀想な役どころなのだが、最後にまともそうなボーイフレンド候補と宴を楽しんでいるところが映るのでちょっと安心する。
 ガストンがあまりにもワルである一方、野獣は常軌を逸してはいるが同情できるところのある存在として描かれているので、どっちかというと超クズ野郎に追いかけられて困っている女性が、しょうもないがまだいいところのある男にホロリとやられてしまう話みたいに見える。そう考えると、おとぎ話のくせにずいぶんシビアな内容である。大人なら身につまされてしまうかもしれない。


 この話で注目すべきなのは、野獣が成長していく過程で重要な要素のひとつとして、ベルの影響で幅広く本を読むようになったことがあげられるという点である。ベルは大変本が好きな女性で、『ロミオとジュリエット』みたいな愛情を細やかに描いたロマンスものが好きである一方、工夫して洗濯装置を発明するなど、理性の領域でも長けている。野獣は文字通り、人間の時からかなり粗野な振る舞いをしていて、理性にも成熟した感情にも欠けているわけだが、理性とロマンティックな感情の両方を持ち合わせた存在であるベルに影響され、今までは読まなかった騎士道ロマンスみたいなロマンティックな本も読むようになる。ここではロマンスものがバランスのとれた理性と感情、両方を教える啓蒙の装置として使われているのだが、伝統的にロマンスが女性の読み物とされ、あまり知性の向上には役立たないとされていたことを考えると、このロマンスによる啓蒙という展開はなかなか面白いと思う。私が研究している17〜18世紀くらいの女性文人の中には、ロマンスには教育上よいところがたくさんあるみたいな主張をしていた人もいるのだが、ベルによる野獣の啓蒙はまさにそれを地で行っているわけである。