こんなのを映画で見なくてもいい〜『海辺のリア』

 『海辺のリア』を見てきた。『リア王』をゆるく翻案したものである。

 認知症が悪化したかつての名優、桑畑兆吉(仲代達矢)が老人ホームを逃げだすところから始まる。兆吉にはかつて勘当した娘の伸子(黒木華)がおり、伸子と海岸で再会する。一方、兆吉を老人ホームに入れた上の娘由紀子(原田美枝子)は老父が死ねばいいと思っており、捜索をしたがらない…のだが、由紀子の夫でかつて兆吉の弟子だった行男(阿部寛)は兆吉を探す。しかしながら由紀子は運転手(小林薫)と不倫をしていて…

 豪華な役者陣の演技には文句がないのだが、まったくなんでこれを映画で撮ろうとしたのか理解できないような、悪い意味で舞台劇っぽい作品である。固定したカメラで人をずーっと撮ってるだけのメリハリのないカメラワークで、ちょっと動きがあるかと思えば遠くで一人で話していた人がカメラに近づいてきて話すだけだ(行夫も兆吉もこの動きをやる)。登場人物が5人しかいなくて、場所のバリエーションが少ないのもまるで舞台みたいである。あと、終盤で老人ホームの前にトランクが置かれているカットは必要なのかとか、これいらないだろっていうところもけっこうある。最後に海辺で兆吉が『リア王』の一人芝居をするところだけは面白いが、これは別に映画でやらなくてもいいようなものである。これなら舞台でやったほうが全然面白いだろう。

 さらに脚本の出来が良くなく、これも悪い意味で舞台っぽいというか、舞台ならごまかせるところを映画にしたせいでアラが目立っているという感じだ。老人ホームと海の間(台詞からすると10キロくらいらしい)の移動が発生しすぎで、いったいどういう手段でどのくらいの時間をかけて移動したのかサッパリわからない(これ、舞台ならうまくごまかせると思うのだが、映画だと「え?さっきまで老人ホームにいたのに?」みたいになってすごくヘンだ)。海辺に車をとめただけの状況でいつのまにか1日、時間がたっていたというのも映画で撮るとなんかものすごく不自然である。終盤はとくに省略しすぎで、行夫の態度が変わった理由とか、オチとかは説明がなさすぎる。これも舞台ならいろいろごまかせると思うが、映画だと無理だろう。

 台詞も『リア王』を引用しているところ以外は全然ダメだと思う。とくに行夫のセリフは「なんでそんなに説明的なセリフを一人で言うの?」みたいなのばっかりで(車の中でのセリフとか)、ボイスオーバーで処理すりゃいいのに声に出していて、これも悪い意味で舞台っぽいせいで映画としてはリアリティが無い(阿部寛は頑張っているのに気の毒だ)。いきなり叫んだりするところもちょっとどうかと思う。女性同士が話さないので、ベクデル・テストはパスしない。