70年代、ひと味違う男になりたいと思っている男の子から見る女たちの世界〜『20センチュリー・ウーマン』

 マイク・ミルズ監督の新作『20センチュリー・ウーマン』を見てきた。監督の半自伝的な作品らしい

 舞台は1979年のサンタバーバラである。主人公である15歳の少年ジェイミー(ルーカス・ジェイド・ズマン)は1924年生まれのシングルマザーである母ドロシア(アネット・ベニング)と暮らしている。ドロシアは缶詰会社で製図の仕事をしながら家の一部を間貸ししており、写真家のアビー(グレタ・ガーウィグ)やヒッピーくずれの陶芸家ウィリアム(ビリー・クラダップ)が部屋を借りている。ジェイドは幼馴染みである2歳年上のジュリー(エル・ファニング)に恋をしているが…

 全体的に女性キャラがとても深く掘り下げられている作品だ。ベクデル・テストは冒頭でアビーとジュリーが写真の話をするところでパスするし、生理に関するケッサクなやりとりもある(このやりとりはすごく居心地悪くなるが面白い)。とくにとても開けた考え方をしているわりに1924年生まれなのでなかなか70年代のパンク文化とかについていけないところもあるドロシアと、子宮頸がんやら不妊やらたいへんな病気に悩まされつつ芸術活動を頑張っているアビーといった大人の女性のキャラクターはすごく良く描かれている。一方でジュリーはちょっと不可思議なところもある少女なのだが、これは視点人物がジェイドで、15歳の少年にとって夢中になっている年上の美少女を多面的に思い描くのは無理だからなんだろうなぁ…と思う。この問題をまさに逆手に取ったセリフがあり、ジュリーが「どうせあんたが好きなのは私じゃなくあんたが私に持ってるイメージなんでしょ」みたいなことを言うところは厳しいがなかなか気が利いていると思った。ジェイドは立派な女性たちから影響を受けて育っているのでフェミニズムに関心があり、また音楽の趣味とかもちょっと伝統的に男性っぽいものとは違っている。他の男の子と同じような男性にはなれないし、なりたくもないと思っているのだが、それでもまあ子どもなので女の子の気持ちが全部わかるわけではなく、限界があるわけである。ジェイドはトーキングヘッズが好きなせいでいじめられているのだが、映画の中でのニューウェーブの音楽の使い方とかもとても良い。

 大変よくできた映画で、滑らかに流れる語り口と役者陣の好演で、派手なことは起こらなくても最後まで楽しめる映画だ。一方で少し欠点と思えるところもある。例えば途中でドロシアが特権的にフラッシュフォワード(自分が死ぬ20年くらい後の話)をするところがあるのだが、最後に語り手であるジェイドのフラッシュフォワードがあるんだからこの中盤のフラッシュフォワードはいらなくないか…と思う。語り手の特権をドロシアが奪うということなのかもしれないが、それならもうちょっと本格的に語りをジェイドとドロシアに分けたほうがいいのではという気がした。それから車で移動する場面の撮り方がちょっと凝りすぎていて(プリズムみたいな七色の光が残る映像になっている)私はあまりいいと思わなかった。

 とはいえ、全体としてはすごくオススメである。丁寧な演出、よくできた脚本、多面的なキャラクター、いい演技と、いろいろいいものがそろっている。