ストラトフォード(4)不安になる芝居〜『チェンジリング』

 ジャッキー・マクスウェル演出『チェンジリング』を見てきた。この芝居を見るのは三回目なのだが、何度見てもすごい不安にかられる芝居である。

 設定は1940年代、ファシスト政権下のスペインである。ハイヒールにすらっとしたドレスを着たすごく美しいビアトリス=ジョアナ(ミカエラ・デイヴィス)をはじめとして、全員この時代の洒落た服装を身に纏っている。舞台は真ん中に長方形があって四方を客席が囲む形で、舞台上には石像の建築物を模しているが、足の部分はアクションを遮らないようふつうの柱にして照明で照らしてあるアーチが4つある。全体的に照明は謎めいた暗い感じだ。ビジュアルは非常に美しく統一感のある様子でまとめてあり、また精神病院の脇筋は保持されているがフランシスカスをカットしてアクションをシンプルにしている。

 このプロダクションの特徴はデ・フローレス(ベン・カールソン)がけっこうふつうのおじさまであることである。デ・フローレスはすごく醜く、顔に傷があるという設定なのだが、このプロダクションではふだんは礼儀正しい中年ストーカーみたいな感じで、そこまで醜いというわけでもない。これはこのプロダクションの工夫だと思うのだが、デ・フローレスはもうちょっと若くてカリスマティックで性欲が余ってるみたいな感じのほうがいいのではという気がした。この芝居の演出としては斬新なのかもしれないが、若い女性がおじさまと…というのは別の意味で陳腐だ。

 この芝居を見るといつも心をかきたてられるというか不安になるのだが、それはビアトリス=ジョアナがデ・フローレスに肉体を与えるのがレイプなのかそうでないのかよくわからないからである。ビアトリス=ジョアナは明らかにデ・フローレスとセックスしたくないのだが、一方でテクストには最初からビアトリス=ジョアナがデ・フローレスに歪んだ性的関心を抱いているらしいことが示唆されているし(このプロダクションでは冒頭のビアトリス=ジョアナが手袋を投げる場面でこの歪んだ性的関心が示されていた)、またビアトリス=ジョアナは殺人依頼の返礼としてデ・フローレスに肉体を提供しているし、さらに肉体を使って人を操ろうとしている。このプロダクションではビアトリス=ジョアナは最初、デ・フローレスの申し出を激しく拒絶するのだが、事態のコントロールのためには肉体を使ってデ・フローレスを操るしかないと悟ってからはものすごくセックスを楽しんでいるように見えるし、休憩をはさんで演じられるセックスシーンは激しい拒絶から突然の親密さへすごい速さで移行する。この場面はだいたいの上演で不愉快にセクシーなのだが、この演出でもそうだ。翌日に学会で役者と演出家を呼んだトークイベントがあったのだが、役者のほうはこの場面は強制が関わっているもののレイプではないと考えて演じていたようで、まあこの演出ではそうなんだろうなと思った。このプロダクションにおけるビアトリス=ジョアナは自分の意志を通すために肉体を使うことを厭わなくなり、それでかえって強いヒロインになったように見える。

 一方で『アテネのタイモン』に比べるとちょっときれいにまとまりすぎている気もした。前評判ではずいぶん血まみれだという噂だったのだが、実際に見るとたいした出血量ではなく、最後の死の場面もこぎれいにまとまっている。さらにちょっと疑問なのは、『チェンジリング』は美しくまとまっているプロダクションにすべきなのか、ということである。この戯曲ではデ・フローレスのカリスマ的醜さにより、美の基準がゆるがされることがモチーフのひとつなのではと思うので、なんかもっと過剰さとか醜悪さがある上演でもいいのではっていう気がする。