人生という舞台での演技は楽しいか、楽しくないか〜『ありがとう、トニ・エルドマン』(少しネタバレあり)

 マーレン・アデ監督『ありがとう、トニ・エルドマン』を見てきた。四六時中ふざけてばっかりの父親ヴィンフリート(ペーター・ジモニシェック)と、ブカレストに住んでいる娘で真面目な仕事人間イネス(サンドラ・フラー)の関係を描いた映画である。

 最初はいきなりオモシロおかしいことが起こったかと思うとしばらくゆっくり展開するという超独特なペースに戸惑ってなかなかリズムがつかめなかったのだが、慣れてくると楽しめる。肩の力を抜いて見る映画だと思うのだが、たまにとんでもないことが起こって思わずフイてしまう。

 この映画は全体としては演技、人生について役を演じることについての映画だろうと思う。ヴィンフリートは変装をするのが大好きで、「トニ・エルドマン」というのはヴィンフリートが勝手に作った人格だ。ヴィンフリートが作り上げる人格というのは他人を騙すとか信じさせるというよりは怪しい変な人としてなんとなくオモシロいことをするというものなので、変装としてはけっこう低レベルなのだが、ヴィンフリートはこの超低レベルな変装でいろんな役を演じることで人生に変化を与え、楽しんでいる。
 一方で娘のイネスはビジネスにおいて自分に求められる役柄を完璧に演じようとしており、そういう意味では父親のヴィンフリートよりはるかに「演技力」があるのだが、イネスはおそらく内心、自分が演じている完璧なキャリア女性という役柄に満足しておらず、不安を抱えている。そんなイネスにとっては、大根役者なのに他人のフリをして楽しんでいるオヤジはたいへんウザい人として映る。ヴィンフリートはイネスを変装ごっこに付き合わせることで面白がらせようとするのだが、イネスは既にデフォルト状態で変装、演技に飽き飽きしているので、父親に付き合わされてやるさらなる変装ごっこなんてちっとも楽しくはない。ところが生き生きしているオヤジの影響でイネスは人生を少し見直し始め、オヤジとは逆に役を「脱ぎ捨てる」方向に吹っ切れる。このあたりの心境が笑いをまじえて丁寧に描かれているところが良かった。

 全体的に会話はけっこう気が利いている。ベクデル・テストはパスするし、とくにパーティの場面でイネスと秘書がはじめて中身のある会話をするところとかはとても自然に描かれている。ドイツとルーマニアが舞台で、インターナショナルなEUという感じの映画でもあり、いろんな言語で会話が飛び交うところも興味深い。