奇矯にして静かな詩人に潜む大きな情熱〜『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』

 テレンス・デイヴィス監督『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』を見てきた。19世紀アメリカの詩人、エミリ・ディキンスンの生涯を描いた伝記映画である。学生時代から死まで、マサチューセッツ州アマストで静かに暮らしていたディキンスンの生涯を追う。

 とりあえず、この題材でちゃんとした映画にしているということにまず感心した。ディキンソンはいかにも奇矯な天才という感じの詩人で、生前も人付き合いが悪く、ひたすら執筆をする静かな暮らしをしていたことで知られている。作品も生前はあまり発表しておらず、文壇に組み込まれていないのでそんなに文人と交流があったりするわけでもない。奇人タイプの天才でも恋多き人物だったり、文壇で暴れたりしていればかなり波瀾万丈の話になるのだが、そういう要素は全く無い人である。ディキンスンはレズビアンだったのではないかという話もあるのだが証拠はなく、この映画では牧師に熱をあげるといういかにも19世紀アメリカの真面目な女性にありそうなエピソード以外は恋愛要素もほぼカットしていて非常に禁欲的だ。それなのにこの映画はニューイングランドの風景などを取り入れつつ、ディキンソンの創作に対する情熱をきちんと描いた作品にしている。ただ、執筆に専心する様子とかを面白いと思えないとなかなか見るのがつらいと思うので、一般ウケはしないだろうな…

 この映画では、ディキンスンは若い頃から反逆的な精神を持っていた女性として描かれている。女性の立場や形骸化した信仰に対して常に批判精神を失わず、見た目は物静かだが倫理とか魂の問題については極めて情熱的に考えている。若い頃には友人と議論をしたり、説教のうまい牧師に好意を抱くなど多少社交生活もあったのだが、友人たちがアマストを去り、ディキンスン本人が持病を抱えるようになってからはどんどん引きこもって執筆だけを行うようになる。妹のヴィニー(ヴィニーとの会話でベクデル・テストはパスする)など家族とは親しいのだが、それでも魂に関する真面目な考え方や頑固な性格のせいで感情的なすれ違いも起こりがちだ。こういう詩人の暮らしぶりの変化と、偏屈な外見の下に潜む情熱や知性を丁寧な会話や心理描写で描いていて、見応えがある。人にすすめやすい映画ではないかもしれないが、個人的にはとても良いと思った。