理性と感性の両方を象徴する芸術の力〜『ブレンダンとケルズの秘密』(ネタばれあり)

 トム・ムーア監督『ブレンダンとケルズの秘密』を見てきた。トム・ムーアの作品としては『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』のほうが2作目でこちらが1作目なのだが、やっと公開された。

 舞台は中世アイルランド、ケルズ修道院。主人公である少年修道士ブレンダンは写本の作り方を習っているところだったが、そこへヴァイキングに破壊されたアイオナ修道院から装飾写本作りの名手、エイダン修道士が逃げてくる。エイダンについて写本の絵について学ぶブレンダンだったが、ヴァイキングの襲来にそなえて砦を建設するので忙しい修道院長ケルアッハは、甥でもあるブレンダンが絵ばかり描いているのをよく思わない。ブレンダンは写本を完成させるため、森の妖精アシュリンと強力して闇の力クロム・クルアッハと対決することになるが…

 いわゆるケルト文様が渦巻くアニメーションが一番の魅力で、『ケルズの書』に描かれた模様が実際に動くところはとても綺麗だ。この映画では中世アイルランドに存在した自然物がアイルランドの古典的な文様そのまんまのものとして描かれており、これがとても面白い。修道院の周りの森にある木々は渦を巻いてうねっているし、降ってくる雪はアイルランド十字みたいな形をしている。つまりこの映画では、『ケルズの書』にあるような模様は、アイルランドの自然物をそのままリアルに再現したものだということになる。『ケルズの書』は作中で天使のような力を持っていると言われているが、それはおそらくこの本じたいが自然の造作の傑作を鏡に写しとったものだからだろう。

 一方でこの映画は修道院と聖なる本を題材にしているわりにはあまりキリスト教色が無い。アイルランドキリスト教伝承では聖パトリックが蛇とかクロム・クルアッハみたいな古代の邪神のたぐいを全部追い払ったはずなのに、ブレンダンが対決するクロム・クルアッハは蛇そのまんまだ。ブレンダンはこのクロム・クルアッハに対して、信仰の力とかではなく、画家として線を描く力で対抗する(この戦いの場面は見た目がちょっとゲームっぽい)。この映画では絵画芸術が感性(人の心を動かす力)と理性(賢い判断力)の両方を象徴しているのだが、ブレンダンが絵でクロム・クルアッハを囲って閉じ込めてしまうところにそれが最もよく現れていると思う。修道院長は芸術をあまり認めていないのだが、最後に砦作りとかよりも写本、つまり感性と理性のほうが人間にとって大事だと考えるようになるというオチになっている。さらにブレンダンはクロム・クルアッハと対決するという試練によって一人前の芸術家になるのだが、大人になることでかつては見えていた妖精アシュリンの姿を見ることができなくなる(この後、アシュリンは動物の姿でしか現れなくなる)。ブレンダンと妖精アシュリンの関係には全然、キリスト教的な要素が関わっておらず、完全にアイルランドの非キリスト教神話の世界だ。全体的に、ある意味では世俗的な芸術の力を讃える作品で信仰はほとんど前面に出てこないので、かえって日本の観客とかは入りやすいかもしれない。

 基本的にはとても面白かったのだが、ただいくつか疑問点もある。最初の鳥との追いかけっこの描写などはちょっとディズニーっぽくてあまりオリジナリティが無い。この冒頭のところもそうなのだが、ケルト模様とか自然物の描写は素晴らしいのだが、人の動きや表情についてはちょっと不満なところもあり、とくにアフリカ系の修道士の顔がやたら唇が厚くなっており、画力不足のせいでステレオタイプになっている気がする。物語の洗練度は『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』のほうが勝っていると思う。男子修道院の話なのもあり、ベクデル・テストはパスしない。

 ちなみにこの映画、非常にちゃんとしたファンタジーなのだが、中世の修道院にアフリカ系やアジア系っぽい修道士がいたり、妖精とキリスト教修道院が入り乱れていたり、実は世界観が『キング・アーサー』とかによく似ていると思う。あの手のちょっとモダンでしっちゃかめっちゃかなファンタジーが好きな人にはおススメだ。