今までで一番、死人が多い〜カクシンハン『タイタス・アンドロニカス』

 吉祥寺シアターでカクシンハン『タイタス・アンドロニカス』を見てきた。前回の『タイタス・アンドロニカス』(イギリスから帰国して初めてカクシンハンを見た)も見たのだが、全然違う演出だ。

 色は赤と白が基調だが、前回の『マクベス』に引き続き、パイプ椅子を使った演出なども見受けられてちょっとメタリックな感じもする。吉祥寺シアターはわりと舞台が広いので、舞台奥の空間を活要し、奥のカーテンを開くと別の景色が見えるとか、奥まったところから人が出てくるというようなことをしている。人が死ぬとガイコツを上から吊した紐にぶらさげるとか、椅子を一斉に吊り上げるとか、吊り物を使った演出も導入されており、全体的に奥行きも高さもある空間をうまく使おうとしているところは良かった。ちなみにタモーラのバカ息子が二人ではなく三人になっているのだが、これも広い舞台を使いこなす(+タイタスの三人の息子と対にする)ためだとポストトークで言っていた。

 全体的にエネルギッシュでブラックな笑いもたくさんあるプロダクションだった。タイタスを演じる河内大和は、この役にしてはけっこう若いほうだと思うのだが、堂々たるパワフルなタイタスだった。ラヴィニア(真以美)が下と両腕を切られるところは口や腕から赤い紐を出すので処理しており、これは蜷川の演出に似ている。たくさん血糊などを使ったりするのではなく、様式的に残虐性を表現しているところが多いと思うのだが、一方で最後は今まで見た『タイタス・アンドロニカス』の中でも一番たくさん人が死ぬ演出で、ルーシアス親子までかなり悲惨な感じで死んでしまうので全く希望が無い。しかしながら『タイタス・アンドロニカス』にはこういう希望の無い終わり方がふさわしいような気もする。

 だいたいのところは面白く見られたのだが、一方でちょっと不満もある。一番私が不満に思ったのはタモーラ(白倉裕二)の役を大きくしてタイタスとの対称性を際立たせた分、エアロン(岩崎マーク雄大)の役が小さくなってちょっと全体的に単純な構造になっているというところだ。とくにエアロンはブラックフェイスで演じられており、これは全体の基調になっている赤でも白でもないから…ということなんだと思うのだが、はっきり言ってこの演出は効いてないと思う。全体的にちょっと存在感が曇った感じで、企みの張本人というよりはむしろタモーラとタイタスの対立に巻き込まれた人みたいな印象すら受ける。数カ所、複数人でエアロンを演じるところもあるのだが、これもむしろキャラクターが抽象化されて拡散しちゃってると思う。この演出は悪と善が見方によって変わるということがコンセプトで、それならもっと前半でエアロンを派手な悪として提示し、その後父としてのエアロンの弱点を強調することでメリハリをつけたほうがいいと思う。もうちょっと役者の個性を生かすため、最初からブラックフェイスもやめて派手な服とかを着せたほうがよかったんじゃないだろうか。あと、全体的にちょっと音楽の使い方が過剰というか、もっとユージ・レルレ・カワグチの生ドラムをシンプルに使って盛り上げたほうがいいんじゃないかと思う。クラシックの使い方とかは良かったと思うのだが、とくにさだまさしはいらないんじゃないだろうか…