ポストBrexitエドガー・ライト〜『ベイビー・ドライバー』(ネタバレあり)

 エドガー・ライトの新作『ベイビー・ドライバー』を見てきた。

 舞台はアトランタ、主人公は凄腕のドライバー、ベイビー(アンセル・エルゴート)。事情があって逃走車のドライバーとしてドク(ケヴィン・スペイシー)のもとで働かされているが、ある日行きつけのダイナーの新しいウェイトレス、デボラ(リリー・ジェームズ)に恋をして…

 カーアクションは凄いし、全体に流れる音楽のセンスも良く、とくにクイーンの「ブライトン・ロック」を使ったシークエンスはこれだけで見る価値はあるくらい素晴らしい。良くできた映画だし、面白い。

 …しかしながら、私はあんまり好きになれなかった。完全に個人的な好みの問題なのだが、これはエドガー・ライトが今まで撮ったスリー・フレーヴァー・コルネット三部作(『ショーン・オブ・ザ・デッド』、『ホット・ファズ』、『ワールズ・エンド』)とは全然、違う映画だ。この三つの映画に共通するテーマとしてあるのが、イギリスのしょうもないところもいっぱいある地方文化(パブとか)に対する抑えきれない愛着と、それと裏表のように存在する、世界から隔絶されることへの恐怖、もっと広い世界とつながらなければいけないという思いだ。『ホット・ファズ』はすごく反Brexit的な映画だと思うし(素敵な田舎の村は素晴らしいが、そういう村を守るため偏狭になるのは悪い)、一方で『ワールズ・エンド』の背景にはチェーンのせいでパブが全部つまらなくなっていくというグローバリゼーションへの反感が描かれている。故郷への愛憎のバランスがとれているところが、私が今までのエドガー・ライトの映画についてとても好きだと思えるところだった。スリー・フレーヴァー・コルネット三部作では、村にもパブにもスーパーにも全部ちゃんとした質感があって、生きている場所に見える。だから愛することも憎むこともできる。

 しかしながら『ベイビー・ドライバー』はアメリカが舞台で、一応場所はアトランタなのだが、場所からそういう生きている質感みたいなものが一切、奪われている。アクションの大部分はどんなごはんを出してるのかよくわからないダイナーとか、犯罪の計画を立てるための味気ない部屋、あるいは移動中の車などで起こる。一応人間の住む場所っていう感じなのがベイビーとジョーが住んでいるフラットだが、そこもバラバラに壊されてしまう。ベイビーもデボラも逃げたいが、それは結局無理だ。故郷も無いし、行くところもない。

 そういうふうには見えないが、実はこれはとてもポストBrexit的な映画なんじゃないかと思う。Brexitすることになってしまったイギリスでは、もうエドガー・ライトは映画を撮れないのかも…と思った。もうイギリスはあのホット・ファズの村みたいなところになってしまったので、ライトの帰る愛憎半ばする故郷は無い。だからこういう、場所の質感が一切なく、故郷を拒絶するような根無し草感のある映画を撮るようになったんじゃないかと思ってしまった。もしライトがこのまんまこういう映画を作り続けるのならばそれはしょうがないと思うのだが、私はものすごく胸が痛い。

 とはいえ、全体的によくできてはいる映画である。ただし女性キャラクターの描き方はステレオタイプなもので、ベクデル・テストもパスしない。