ナチュラリスティックだが、役者である王子〜ハロルド・ピンター座、アンドルー・スコット主演『ハムレット』

 ハロルド・ピンター座でロバート・アイク演出、アンドルー・スコット主演の『ハムレット』を見てきた。もともとはアルメイダでやっていたのだが、大変好評だったのもあり、もっと広い劇場に移動したものだ。最終週だったが、ほぼ満員だった。

 舞台は前方と後方ふたつの層に分かれており、基本的には透明な仕切りで後方のテラスみたいなスペースと前方の応接間みたいなスペースに分かれている。ポローニアスや王が立ち聞きをしたいときはこのテラスの後ろに隠れることができる。これ以外に舞台上方と左右にスクリーンがあり、ニュース映像っぽいものや監視カメラの映像などが映し出される。

 全体的には同じくアイクが演出を手がけた『1984』にちょっと似ており、このデンマークは監視カメラや立ち聞きが横行する監視社会だ。開始から亡霊があらわれるあたりまでがとにかく面白く、まずは監視カメラに亡霊が映るところから始まる。これ自体はそんなに新しい発想ではないと思うのだが、何分割もされたスクリーンのどこかひとつに亡霊が映るという緊張感がある見せ方だ。実際にハムレットが先王の亡霊と対面する場面では舞台上の光が派手に点滅して亡霊が現れるちょっとショッキングな演出になっており、ホラーっぽくてワクワクする。

 この監視社会ふうな演出で面白いところは、ハムレット自身もけっこう監視や立ち聞きをするほうにまわることだ。応接間に隠れてポローニアスとオフィーリアの話をこっそり聞いたり(オフィーリアもこれに気付いている)、クローディアスがハムレットイングランドに送ろうと相談しているところを舞台後方に隠れて聞いたりする。実はもとの台本だとハムレットが突然ガートルードに対して「自分はイングランドに行くことになりました」みたいなまだ聞いていないはずの情報を言い始めるところがあり、台本の流れにちょっと問題があるのだが、これはとてもうまい解決法だ。こういうふうに自分で情報を探る動きのせいで、ハムレットがちょっとドライでダークで機転の利く人物という雰囲気にもなっている。たぶんこのハムレットはもし王になったら辣腕政治家になるだろう。

 台詞回しについては全体的に極めてナチュラリスティックな演出で、全ての台詞がまるでその場で考えながらしゃべっているように聞こえる。そのぶん、弱強五歩格のリズムは犠牲になっていてあまり詩的な上演ではなくなっているが、この大変リアルな演出のせいで独白などは非常にフレッシュに聞こえる。とくにハムレットは言葉を選んだり、精査しながらしゃべっているという印象を与える。

 演出はナチュラリスティックなのだが、アンドルー・スコットのハムレットは、実は非常に役者的というか、パフォーマーとしての天性を持っている王子だ。ふだんは物静かなのだがいきなり感情を爆発させることがあり、おそらく声を荒らげたり、感情的な発言をすると他の人がどう思うかということを心得てやっている。人を笑わせるのもお手の物で、ちょっと捻った機知に富んている。同じくアンドルーが演じた『シャーロック』のジムはディーヴァかドラマクイーンかというような感じでいつも自分の芝居で他人を操ることを心得ていた。このハムレットはジムほど「オレを見て!見て!」みたいな感じではものの、それでも人を笑わせたりビビらせたりすることについては天性の才能がある。この役者的な才能がよく発揮されるのが劇中劇の演出をする場面で、この場面のハムレットは今すぐウェストエンドでデビューできそうな堂々たる演出家ぶりを見せている。

 そういうわけで全体としてはとても完成度が高く、面白く見ることができたのだが、ひとつだけ大きな減点ポイントがある。私が個人的にこの芝居で一番ドラマティックな場面だと思っている、クローディアスが自らの罪を神に懺悔しようとする場面が、この演出ではハムレットの前でクローディアスが自分の罪を話すという場面になっているのだ。いくつか批評でも言われていたが、この場面は全然うまくいってない。全体的にナチュラリスティックなトーンなのにここだけテレビの大げさな犯罪ドラマみたいな感じで、それまで狡猾で自分のイメージに気をつけている政治家だったクローディアスが自己顕示欲たっぷりの悪党みたいになっていて、ずいぶんと浮いている。あまりにもリアリティが無いので、ここだけハムレットの妄想のように見えるのだが、そうだとすると観客は本当にクローディアスが先王を殺したのかわからないということになるので展開上問題が起こる。ここは他の場面にあわせて、ハムレットがどこかに隠れて立ち聞きするというような演出にすべきだったと思う。