セックスや生殖についてのモチーフが機能してない〜『ブレードランナー2049』(ネタバレ多数)

 『ブレードランナー2049』を見てきた。第一作には全く思い入れがなく、また予告編が公開されるたびに「これはつまらないんじゃないか」という予感が増していったので見に行くつもりがなかったのだが、実際に行ってみるとまあ思ったほどひどいわけではなかった。

 話は主人公であるレプリカント、K(ライアン・ゴズリング)が旧型レプリカントの捜査をする過程でいろんな謎に突き当たる…というものである。正直話は長すぎて、もっと短くしたほうがいい。スカヴェンジャーに襲撃される箇所は前作のファンを喜ばせるだけのために入っている感じなので全く要らない。最後にレプリカントが大勢で反乱計画の話をするところも不要で、あれはマリエット(マッケンジー・デイヴィス)がKに口頭で伝えるだけでいいし、むしろそのほうがたぶんKが家族の情愛に近い人間的な感情で動かされた感じになるからオチとしてもきれいだったと思う。

 そういうわけでダラダラした話なのだが、主演のライアン・ゴズリングがけっこういいのと、要所要所でオっと思うようなキャスティングが演技の妙を見せてくれるので(デイヴ・バウティスタ演じるレプリカントのサッパーとか、バーカッド・アブディ演じるバジャーとか、ロビン・ライト演じるジョシとか)、思っていたほどは退屈しない。ヴィジュアルについても気を遣っているところはたくさんある。エンドロールによると、ホテルのホログラムショーの場面ではCGよりかそっくりさんを使っているようで、いろいろこだわりがあるのだろうなと思った。

 しかしながらいろんなものを詰め込んでいるのでまとまりは無いし、生殖やセックスに関するモチーフ類がとくに全然、ちゃんと機能していないと思う。監督のドゥニ・ヴィルヌーヴが前作『メッセージ』同様やたらと処女受胎(というか聖母による奇跡的な受胎)のテーマにこだわっているのはウザい。しかも今回聖母となるレイチェルは死んでいる上、復元されたレプリカントは出てきて殺されるだけなので、聖母にあたるヒロインの描写に厚みがあった『メッセージ』に比べると薄っぺらいことこの上ない。ハリソン・フォード演じるデッカードは『スター・ウォーズ』に続く「SF映画の失敗したお父さん」で、誰かスタッフに『スター・ウォーズ』のファンがいるのではと思った。Kにとっての「独身者の機械」であるホログラムの恋人、ジョイ(アナ・デ・アルマス)はレプリカントであるラヴ(シルヴィア・フークス)や同じくレプリカントの娼婦であるマリエットから差別されており、レプリカントより下の階層ができていることを示唆する一方、一応「意識」らしいものがあるにもかかわらずレプリカントのような抵抗の契機が与えられていないことを通して「人間とは何か」を観客に考えさせることができるうまいアイディアなのだが、そのわりに全然、機能しておらず、ただの脳内彼女みたいな薄っぺらい描き方になっていてあっさり死んでしまう。なお、この映画がベクデル・テストをパスするかは微妙で、ジョイがマリエットを帰らせようとするところの会話でパスする…かもしれないのだが、ここでは2人とも基本的にKのことを前提にして話しているので、男性以外の話題について話していると言えるか非常にあやしい。