尊厳と真実の両方を守るには?〜『否定と肯定』

 『否定と肯定』を見てきた。歴史学者デボラ・E・リップシュタットホロコースト否定論者デイヴィッド・アーヴィングに訴えられた際の実際の裁判を脚色したものである。

 原題は"Denial"で、正直『否定と肯定』という日本語タイトルは良くない…というか、この映画は否認主義とまともな歴史的探求は並列することすらおこがましく、そうすることによりデマの流布に手を貸してしまうことになりかねないということを描いた映画なので、日本の宣伝は全然ダメだと思う。

 アーヴィングは史料を歪曲してホロコーストを否定しようとする人物であり、映画中で言われているように、リップシュタットを訴えたのは彼女がユダヤ人で女性だからだ。リップシュタットはレイチェル・ワイズが演じており、これは非常に適役だと思う。というのも、レイチェル演じるリップシュタットは赤毛の美人で優秀な学者にしては若く、いわゆる学問の世界で「まじめに」受け取られにくいタイプの外見をしているからだ。学問の世界では若かったり美人だったりするような女性を軽く見る傾向があるし、さらにいかにもユダヤ系美女という感じなので人種偏見にもさらされやすくなる。一方でレイチェル演じるリップシュタットは学者の美点と欠点を両方たっぷりそなえているタイプで、歴史家として非常に真摯に真実に仕えている一方、融通が利かなかったり、駆け引きが下手だったりするところもあり、人間味がある。リップシュタットが、弁護団に止められているにもかかわらず、ホロコーストサヴァイヴァーの女性たちを証言台に出すと請け合ってしまうあたりの描写は、いかにも真面目で融通が利かないリップシュタットの性格をよく表すものだ(この会話でベクデル・テストはパスする)。これに対してティモシー・スポールは口がうまくて話が面白いおじさまというイメージを最大限に利用してデマを広めようとする役どころを非常に憎々しくうまく演じている。弁護士役で登場するアンドルー・スコットやトム・ウィルキンソンも芸達者だ。

 この作品において、リップシュタット側はある種の尊厳を守って勝つことを常に考えており、そのあたりがとてもよく描けていると思った。スコット演じる辣腕弁護士のジュリアスはリップシュタットもホロコーストサヴァイヴァーも証言台に立たせないという方針をとるが、これはホロコーストの犠牲になった人々とそれに真面目に取り組んでいる人々の尊厳を守るためだ。否認主義と真面目な歴史家が対等に見えるようなことがあってはならないし、ホロコーストサヴァイヴァーが公の場で否認主義者に侮辱されるようなこともあってはならない。一見、派手で奇抜な弁護方法を好んでいるように見えるジュリアスだが、方針の裏にはちゃんとした信念がある。ウィルキンソン演じるリチャード・ランプトンも、ぼうっとしているように見えて実は常に尊厳を守って勝つことを考えており、終盤の弁論のくだりはとても迫力がある。