父性の失敗、女の徳〜『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』(ネタバレあり)

 『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』を見てきた。

 『スター・ウォーズ』シリーズには以前から「父性の失敗」というモチーフがあるのだが、この『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』は父性の失敗、とくに父子関係の悪化を突き詰めまくった作品である。アナキンは処女受胎で生まれ(つまり父親がいなかった)、前三部作では息子が悪に堕ちた父と対決するという内容だった。前作『フォースの覚醒』ではハン・ソロが非行に走った息子に殺害されている。『ローグ・ワン』ではヒロインの実父と養父の両方が殺害されている。さらに今作では、前三部作では父に反逆する息子であったルークが、実は養父的役割を果たしていたカイロ・レンを悪の道に走らせるきっかけを作っていたことが明らかになる。とにかく生んでようが育てていようが「父親」的なるものがボコボコにされる。レイはハン・ソロともルークとも一応、疑似父娘的関係を築いていたのだが、ハン・ソロは死ぬし、ルークは実はレイに教えられるものをそんなに持っていない。今作では徹底的に父親がボコられていると思う。

 ボコられているのは父親だけではなく、伝統的な男性性に基づくガバナンス一般だ。ルークがレイに教えられることは実はあんまりない…というのは、年をとって権威を持っている男が若い女性に教えるという形式を徹底して否定するものだ。今シリーズきっての爽やかなヒーローで色男であるはずのポーが冒頭に大胆な作戦を実施して調子に乗るが、後半では実行した作戦が無謀なもの、英雄史観的なものとしてネガティヴに評価され、所謂ラストミニッツレスキュー的なサスペンスもなく失敗に終わるという展開は、大胆とか無謀といった男性的美徳がもはや効かなくなっていることを示している。一方でギリギリのところでしぶとく重要なものを保存しようとするレイアやホルド(ローラ・ダーン)の決断のほうが肯定される。レイアは大胆さを有している一方でもともと前三部作の時から「逃がす人」だったのだが(話じたいがレイアが情報を積んだR2-D2を逃がすところから始まるし)、レイアだけではなくホルドも女性だというのは明らかに意図的なものだ。ポーがホルドについて「有名な人だけど想像と違った」などと言うあたり、ポーの英雄観がちょっと垣間見える(なお、ベクデル・テストはコニックスとホルドの作戦についての会話でパスする)。まあ前からそうだと言えばそうなのだが、今作においては、伝統的に男性のものとされる大胆さが機能しなくなる段階があり、そこで伝統的に女あるいは母のものとされている徳(逃走させ保存する力)が発揮される。この母性アゲはカイロ・レンの行動に顕著なのだが、カイロ・レンは父ハン・ソロの機転も母レイアのリーダーシップも全然受け継いでいないいわゆる「鬼っ子」で(彼がレイに対して愛憎を抱いているのは、おそらくレイがどっちも持っていてハン・ソロともレイアとも共通点があるからだ)、前作であんだけ残酷に父を殺したくせに、母レイアが乗る船を攻撃するときはためらって撃てない。レイアは希望の象徴のようなリーダーであり、反乱軍の中でも特異な母性的地位を占めている。父親はボコられるが、母親は希望で有り続けるのだ(こういう伝統的な意味での男性的ガバナンスへの不信は現在のアメリカの政情とダイレクトにつながっているのではと思う)。

 しかしながらこういう母性アゲ、女性的な徳の強調がちょっと行き過ぎというか座りが悪く見えるところもけっこうある。一番問題なのが新キャラのローズ(ケリー・マリー・トラン)で、彼女はアジア系の整備係なのだが、フィンに恋し、身を犠牲にしてフィンを助け、フィンに無謀な行動は良くないということを命を賭けて伝えようとする(ほとんど死にかけた状態で今作は終了する)。「女の徳」をふんだんに備えたキャラクターなのだが、まずこのキャラクターに問題があるのは、ローズはいわゆる『ハリー・ポッター』シリーズのチョウ・チャンみたいな、ヒーローと白人女性の間に割り込んでくるアジア系女性の当て馬キャラに見えることである。フィンはレイと特別な絆を持っているが(私は #Poefinn ですがね)、ローズはそこに割り込んできたように見える。さらに献身的で家族や友人に尽くす健気な乙女というのもどうも東アジア系の女性としてはステレオタイプ的でむずがゆいキャラだ。月のペンダントを持っているのも私はかなり気になった…というのも、伝統的に月が象徴するのは処女性だからである。乙女なアジア系女性がヒーローの恋路に割り込んでくるというのはどうもあまり良い予感がしない。

 まあこういうわけでいろいろ考えるところのある作品だったのだが、ちょっと思ったのはこの映画はデルトロっていう人を頼りにしすぎているということだ。惑星クレイトの、白い表層の下に赤い地面が広がるヴィジュアルプランは明らかにギレルモ・デル・トロ監督『クリムゾン・ピーク』から頂いてきたものだと思う。さらにベニチオ・デル・トロを無駄に豪華に使っている(あれはちょっと次作に続くのでなければホント無駄では…)。ちなみにここ数日、私はベニチオ・デル・トロ演じるDJがあの後生き延びて骨董品集めにハマって『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のコレクターになったと想像して楽しんでいる。