もう一つの事実と命~『命売ります』(ネタバレあり)

 サンシャイン劇場で『命売ります』を見てきた。三島由紀夫の小説をノゾエ征爾が戯曲化・演出したものである。

 

 自殺に失敗した羽仁男(東啓介)が、生き延びたからどうせ要らない命だと「命売ります」という商売を始めたことから起こる、さまざまなドタバタ大騒動を描くものである。いろいろと危険な依頼が舞い込むのだがどういうわけだか命が助かってしまい、なかなか充実した人生を生きるようになってしまう。そんな羽仁男にもとうとう年貢の納め時かというような危険が降りかかるが…

 

 原作の展開や台詞などをかなり忠実に再現しているが、中盤で少し省略があるのと、また最後のニセ時限爆弾のくだりについては若干変更してある。また、自殺のくだりを詳しく説明するのが後半になってからで(冒頭ではほのめかしだけ)、時系列についてもちょっと操作があるが、別にわかりづらくはない。非常にエンタメらしい軽いタッチの作品で、二段になったステージにドアが並ぶちょっとカラフルなセットも昭和レトロでポップな感じだ。衣装にもかなり気をつけて昭和のおしゃれ感を出すような工夫がある。

 

 一見したところ軽い話なのだが、実はこれは『豊饒の海』とか『美しい星』など他の三島のもうちょっとアート志向な作品とつながっていて、いわゆる「もう一つの事実」(オルタナティヴ・ファクト)的なものを芸術的に探求した作品なのかもしれないと思う。「もう一つの事実」というのは、まあ政治的には嘘の婉曲語みたいに使われるわけだが、人によっては事実でないものを「もう一つの事実」として信じ込んでいることがある。この作品にはACSという誰も聞いたことのないような怪しい犯罪組織が出てきてこれが主人公の羽仁男を狙っているとかいう展開になるのだが、この組織の描き方がまるでギャグみたいで、意図的にわざとらしいステレオタイプな外国人の犯罪組織だ。まるで本当とは思えないのだが、主人公の羽仁男にとってはこの漫画みたいな犯罪組織に襲われたのが「事実」である。最近『豊饒の海』を見たからそう思うのかもしれないが、本多が最後に「そんな人いたんでしょうか?」と言われる『豊饒の海』と、羽仁男が命からがら警察に駆け込んだらACSなんてないんだよと言われる『命売ります』は、大変構造的に似ている気がする。どちらも、中心人物に見えている事実と他の人が見ている事実が違っていて、見ている我々は中心人物に共感するところもありつつ、むしろ中心人物のほうが陰謀論とか思い込み、本当らしい嘘にハマっているように見えることもある。この2作品に違いがあるとしたら、羽仁男は本多と違って自らいくつもの生を生きている人だということだろう。何度生きても結局妄想で片付けられてしまうというあたり、『命売ります』は『豊饒の海』より辛辣だと言えるかもしれない。