全てに否と答える、ラディカルな実存〜『アンチゴーヌ』

 ジャン・アヌイ作、栗山民也演出『アンチゴーヌ』を見てきた。1944年に初演されたそうで、ソフォクレスの『アンティゴネ−』の翻案である。基本的なあらすじはだいたいソフォクレスに似ており、兄ポリニスを埋葬しようとするアンチゴーヌ(蒼井優)と、それに反対するおじでテーバイ王であるクレオン(生瀬勝久)の争いを描くものである。アンチゴーヌとその婚約者であるエモン(渋谷謙人)、及びクレオンの妻の死で終わる。
 アヌイの芝居は初めて見たのだが、この『アンチゴーヌ』は大変ラディカルな作品である。正しく清くあるため、大人としての社会生活全てに否と答えるアンチゴーヌと、テーバイ王としてあらゆるものを受け入れ肯定しようとするクレオンの対決を描いている。アンチゴーヌは20歳そこそこの若い娘なのだが、社会のレールが提供する全てのもの、つまり成長とか、結婚とか、法とか、最後には生までも徹底して拒絶し、一度でも承諾してしまったら倫理的におしまいなのだと考えている。この、与えられたもの、降りかかってきたものを拒むことにこそ人間の自由意志の本質があるという態度は極めて過激で厳正だ。政治家として努力するクレオンは完全に否定されてはいないのだが、何でも受け入れて穏便に処理しようとするのが習い性となっているため、拒否することで悲劇を防ぐということができない。一度でもクレオンが拒否すればこんなに一族がバタバタと死ぬことにはならなかったはずなのだが、クレオンは社会化されすぎていて拒むことができない。時代背景を考えると、クレオンはナチスドイツのもとで穏便に生きようとする「成熟した」人々を指す一方、アンチゴーヌは一度ファシズムを受け入れてしまったらそこからはなし崩しのように自由がなくなるのだという態度を示しているはずである。もちろんもうちょっと一般的なコンテクストでも見ることができ、アンチゴーヌの全てを拒否する選択に、人生一般における選択を重ねることもできる。
 美術は以前の栗山版『あわれ彼女は娼婦』にちょっと似た十字のモチーフを用いたものなのだが、今回はセットをそのまんま十字型にして四角いハコの真ん中に置き、観客席を十字の隙間に配置するというものになっている。役者は十字の端の四つのポイントから入退場する。この十字の一辺がえらく長く、端と端にはイスを据えてある。アンチゴーヌとクレオンを十字の両端に置いて対決させたりするので、お客は台詞のやりとりのたびに振り返らねばならず、まるで映画のカット割りみたいな効果をもたらしている。役者陣は皆とても良く、とくにちょっと不機嫌そうなカリスマを発する蒼井優アンチゴーヌと、政治家としてのずるさと父としての優しさを兼ね備えた生瀬勝久クレオンの対決はとても良かった。