イーストウッドの健康がとても心配だ〜『15時17分、パリ行き』

 生まれて初めて大手配給から「インフルエンサー」として試写会に呼ばれて、とても緊張しながらクリント・イーストウッドの新作『15時17分、パリ行き』を見てきた。けなすともう試写会に呼ばれなくなるかもしれないが、個人的には全然面白くなくて、しかしそれ以上にイーストウッドの健康がすごく心配になってしまった。なんかもう現世に執着がない人が撮ってるみたいな映画に見える…

 2015年にアムステルダムからパリへ向かう15時17発の高速鉄道で起こったテロ事件を題材にしたものである。この列車には3名のアメリカの若者(アレクとスペンサーの2人は軍人、もう1人のアンソニーは学生)が乗り合わせており、他の乗客と協力して勇気ある行動で銃を持ったテロリストを取り押さえた。事実を映画化したものなのだが、さらになんと実際にこの事件で英雄となったアレク、スペンサー、アンソニーを出演させている。実在の人物に自分を演じさせるという作品である。

 …しかしながら、あまりにもリアル志向すぎてまるでよく出来た再現ドラマみたいに平板で、全然盛り上がらない。おそらく非常に正確に事実を描いているのだろうが、最初は戦争やレスキューに憧れて軍人になりたがる悪ガキどもを描いた愛国映画、中盤は観光映画、終盤は乗り物パニック映画なんだけど、なんかもう悪いリアリズムの例みたいに中盤までが盛り上がらない。しかもこれは個人的なことなのだが、前半と中盤は個人的に気に入らないポイントがいっぱいある。たとえば序盤は男の子が戦争ごっこばっかりしたがるのに私はかなり引いたのだが、実は私は子どもの時から他の男の子が危険な遊びをしたがるのをバカみたいとか思ってたので童心に返ってそれを思い出してしまった。さらに中盤は、イギリスに住んでる時アメリカ人がヨーロッパではしゃいで吐いたりしてるのをけっこう見かけたので、やっぱりアホみたいとか思ってしまった。そういうアホみたいな若者が最後に英雄になるというのを描きたかったのだろうが、まあ今のアメリカの政情を考えるとあまりにも「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン」っぽいあざとさがあって私はイヤだった(なお、ほぼ男性同士の会話か母と息子の会話だけなので、ベクデル・テストはパスしない)。
 しかしながらそれよりも何よりも私がまがまがしいものを感じたのは、この映画はさらーっとなんでもリアルに描くことだけにこだわっていて、『アメリカン・スナイパー』とか『ハドソン川の奇跡』にあった、ある種の生命への執着のテーマが一切、ないことである。この二作とも、物凄いPTSDに苦しみながらそれでも執着によって生きることが描かれていたと思うのだが、『15時17分、パリ行き』はほんとに起こってることをそのまま再現するだけみたいな感じで、そういう暑苦しい執着が一切ない。黒澤の『夢』とかヒューストンの『ザ・デッド』なんかを思わせる晩年的様式だと思うのだが、こういう作品以上にもう生命への執着が全然無くなってしまったかのようなあっさりした描き方で、私は本気でイーストウッドが生きる執着を失ってしまったのではないかと心配になった。別にイーストウッドそんなに好きじゃないし、とくに最近の政治的傾向を見るとイヤだなと思うことが多いのだが、そうは言っても長生きはしてほしいので、なんか不安になる。