その選択は正しかったのか?『赤道の下のマクベス』

 新国立劇場で、鄭義信作、ソン・ジンチェク演出『赤道の下のマクベス』を見てきた。

 舞台は第二次世界大戦後、シンガポールチャンギにある戦犯の収容所である。ここには日本人及び朝鮮人BC級戦犯が収容されている。主に泰緬鉄道(『レイルウェイ 運命の旅路』で捕虜側から描かれていた)の捕虜虐待に関して収監されている人々で、かなり過酷な環境の中、仲違いをしたり、故郷を懐かしんだりしながら死刑を待っている。話は6名の囚人を軸に展開する。タイトルの『マクベス』は、主人公格である朴(池内博之)が昔は役者志望で余興に芝居などをやっており、数少ない手回り品である『マクベス』の台本を読んだり、劇中劇をやったりしていることに由来する。

 とにかく重々しくてきつい芝居で、笑うところはたくさんあるのだが、どんどん死刑の時間が近づいてくるたびにお腹が痛くなるような作品だ。劇中ではBC級戦犯たちが自分の故郷での暮らしぶりなどをだんだん明らかにしていくのだが、かつては大尉で命令する側だった山形(浅野雅博)以外は上官に言われるままに虐待に手を染めており、上層部が適切に裁かれていないという強い怨嗟を抱えている。とくに朝鮮人の兵士たちは、植民地化され、二級市民扱いで暮らしていたところさまざまな成り行きで兵士として働かざるを得なくなり、日本人の上官の命令に従ったところ虐待で訴えられ死刑を宣告されているということで、非常に理不尽な状況に置かれ、おそらくは適切な裁判も受けていない。あまりにも悲惨な運命に直面している。
 しかしながらさらにこの芝居を重いものにしているのは、この兵士たちの内心には、いくら命令されたとは言え、それでも自分たちがここにいるのはなんらかの選択の結果なのではないかという後悔がかぶさっているからである。どれだけ他人のせいにして良心を軽くしようとしても、言い訳できない後悔がひしひしと襲ってくる。この、結局は悲惨な結末を迎えるのではないかという悪い予感があったのに、その場の自分の利益のため倫理に反する選択をしてしまったのではないかという強い不安が、芝居好きの朴の言動により、苦痛と悲劇の運命を予感しつつも王を殺してしまったマクベスの姿に鮮やかに重ねられる。この芝居に出てくる人々は市井の人々だが、みんなシェイクスピアの登場人物のような運命を背負っているのだ。