小さい小屋での人間ドラマ〜東京ノーヴイ・レパートリーシアター『メデイア』

 東京ノーヴイ・レパートリーシアター『メデイア』を見てきた。言わずと知れたエウリピデスの有名作だが、生で見るのは初めてだ。心から尽くしてきた夫イアソンに捨てられたメデイアが夫の新しい妻とその父を暗殺し、さらには自分とイアソンの子供たちも殺してしまうという、極めて残虐な復讐をするまでの物語である。

 基本的には前回同じ劇団が上演した『アンティゴネー』同様、能を取り入れた演出を採用している。ただ、ほとんどの役者が能の節回しを組み込んだ荘重でゆっくりした台詞回しを用いている中、イアソンだけはまるで現代人のような話し方で、しかも大変なチャラ男だ。あまりにもチャラくてちょっとおかしいくらいで、ギリシア悲劇を見てたぶん初めて笑った。このチャラさの方向性は愛嬌があるほうではなく、なんか見ていてイラつくほうのチャラさで、その感じでメデイアに対してあまりにも無神経で筋の通らないことを軽い口調で言うので、実にイアソンがひどい男に見える。

 この演出のメデイアは、ひとりだけ他の登場人物とは模様や質感の異なる、ちょっと野性味のある衣類を着ており、舞台のコリントスとは離れた場所で生まれて魔女となったメデイアのよそ者としての疎外感を象徴している。故郷を捨て、よく知らない土地でひとりぼっちなのに守らねばならない子供までいて心細いメデイアは、元夫にひどいことばかり言われてとうとう堪忍袋の緒が切れ、理性では考えられないようなおぞましい復讐に走る。メデイアは自分のしでかしたことの恐ろしさに脅えているものの、子供たちが敵の手に落ちるのではないかという妄執に取り憑かれてさらなる残虐行為を止められない。さすがにメデイアほどの残虐行為をする人はあまりいないだろうが、我慢し続けていたところにさらなる虐待で正気を失ってひどいことをしてしまうというのは誰にでも起こりうることだ。涙を流しながら凶行に走るメデイアは、許されないことをしてしまったが、人間らしいところがある。

 全体的に、小屋がとても小さいので、親密感を強調し、ひとりひとりの登場人物を神話的というよりはもう少し人間らしく、わかりやすく描こうとしていると思った。以前ロンドンのゲイト座で『エレクトラ』を見た時もそう思ったのだが、小さくて客席と近い劇場では登場人物を神話的に見せるよりは人間的に見せるほうがやりやすいので、ギリシア悲劇も少し家庭悲劇ふうにしたほうがおさまりがいいのかもしれない。