他人のせいにして、生きていこう〜『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』(ネタバレ)

 『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』を見てきた。オリンピックでメダルを期待されながら、ライバル選手であるナンシー・ケリガン襲撃事件にかかわったとしてフィシュアスケート界から消えることになったトーニャ・ハーディングの半生を描いた伝記映画である。登場人物にインタビューする形式で話を進めるかたちになっている。

 オレゴン州ポートランドの貧しい家庭に生まれたトーニャ(マーゴット・ロビー)は高い身体能力を持っており、母ラヴォナ(アリソン・ジャネイ)のゴリ推しでフィギュアスケートを習うことになる。とにかく厳しく体罰もするラヴォナに不満を抱きつつどんどんスケート選手としての才能を開花させていったトーニャだが、貧困家庭に育って垢抜けないところがあり、また伝統的な女性らしさの型にもはまらないところがあってなかなか審査員から好かれることができない。母のもとを離れてジェフ(セバスチャン・スタン)と結婚したトーニャは束の間の幸せを得るが…

 内容の正確性についてはあまり期待できない…というか、そもそもこの映画はおそらく全然正確ではないところがポイントなのだろうと思う。実際に事件にかかわった人々のインタビューをもとに構成されているのだが、出てくる人間のほとんどが相当おかしい。しかも「いくらなんでもこれは脚色でしょ」と思うようなぶっ飛んだ発言の場面については、エンドクレジットでご丁寧に本人インタビューが流れて「ここは実際の発言でした」とわかる構成になっている。これは「史実」についての話じゃなく、かなり発言内容について信頼性がない人たちによる証言から構成された話だ。

 しかしながら、たぶんこの映画が「藪の中」状態なのは、登場人物がウソをついているというよりもむしろ全員の思い込みと無能のせいなんだろうな…という印象を受ける。ずるがしこく立ち回っているように見える人物はあまりおらず、全員バカか病的な思い込みがあるか、どっちかだ。一番の問題人物であるショーンはどう見ても病気だと思うし、ラヴォナも病的だし(ラヴォナとトーニャの会話でベクデル・テストはパスする)、ジェフは何を考えてるのかわからない(何も考えてないのかも)。ケリガン襲撃についても何かちゃんとした計画があったというよりは、この無能と思い込みがどんどん積み重なってあんなことになったように見えてくる。

 しかしながら、こんな中でもヒロインのトーニャは一応ストリートスマートなところがある。トーニャは貧困によって階級差別を受け、母親からも夫からも暴力を振るわれ、周りのせいで転落していく気の毒な人…であるように見えるのだが、よく考えると本人もかなり自発的にとんでもないことをしており(気の毒な犠牲者というだけでは全くない)、ケリガンを脅迫することについては賛同しているし、他にもいろいろ隠してることがありそうに見える。トーニャは失敗すると、必ず観客のほうを見て「でもあれはアタシのせいじゃなかったの」と言うのだが、つまりトーニャは自分をかわいそうに見せる方法、他人のせいにする方法を身につけているってことだ。彼女の語りにはあまり信憑性がない。トーニャはこの作品に出てくる人物の中では相当賢く、他の連中みたいに暴力を使うんじゃなく、態度を偽ることで生き抜くことができる女だが、賢い分信用できない。そしてこの他人のせいにしていくっていうのは、おそらくトーニャがつらい環境の中で生き抜くために身につけた知恵だ。

 しかしながらそんな食えない女トーニャが、この映画ではとても魅力的に描かれている。しょうもない人なのだが非常に人間味があり、山ほど悪いところを持ちあわせているがいいところもある、親近感を抱ける人物になっている。トリプルアクセルをキメるところを特殊効果を駆使してスローで撮るというとても凝った場面があるのだが、その場面のトーニャの嬉しそうな表情は、見ていると思わず笑みがこぼれてしまう。ウソつきトーニャだが、フィギュアにかける情熱はたぶんホントだ。

 フィギュアスケートの採点における階級差別や性差別を微妙に諷刺しているところもよかった。かなり誇張されているとは思うのだが、トーニャはパワー型で、「女らしい」上品さがなく、そのためあまり芸術点が伸びないということになっている。これはどっちかというとトーニャだけじゃなくスルヤ・ボナリーとかジョニー・ウィアーとかを思い出させるように作ってきてる…ようにも思えるのだが、この感じでボナリーやウィアーの映画も作ってほしいような気がした。フィギュアスケートというのはすごくクィアなスポーツに見えるのに、採点するほうはそれを隠蔽しているということが、このへんのちょっと過剰にネガティヴにも思える審査員の描き方にあらわれてるのかなと思う。

 あと、全編くどいくらいに流れっぱなしの音楽が最高だ。トーニャがZZトップの「スリーピング・バッグ」をフルでかけて滑るところは誇張らしいが(歌詞がある曲はあの当時はダメだったはずで、昔のフィギュアではポピュラー音楽については歌詞のないところを部分的に使うだけだったらしい)、選曲がセンス抜群だと思う。くどさも含めてトーニャのキャラクターをよく表してる。