乙女のロマンス願望、男のコンプレックス〜『シラノ・ド・ベルジュラック』

 エドモン・ロスタン『シラノ・ド・ベルジュラック』を見てきた。この演目を実際に舞台で見るのは初めてである。日本語台本はマキノノゾミ・鈴木哲也、鈴木裕美演出だった。 

 主人公は詩と剣の才能に溢れ、勇敢で愉快な快男児として敵も友も多いガスコン青年隊の軍人シラノ・ド・ベルジュラック(吉田鋼太郎)だ。シラノは従妹で幼馴染みの美しいロクサーヌ(黒木瞳)に人知れず純愛を捧げているが、鼻の大きな醜男である自分の容姿に自信を持てず、ロクサーヌに愛を告白できずにいる。一方、シラノを家族で兄も同然だと考えているロクサーヌは全く相手の恋心に気付かず、ガスコン青年隊の若い軍人クリスチャン(大野拓朗)に恋してしまったという相談を持ちかける。クリスチャンもロクサーヌのことが気になっていたとわかり、2人は交際始めようとする…が、クリスチャンは善良でハンサムではあるものの、機知とか詩心のほうはからっきしで、知的でロマンティックで詩に夢中のロクサーヌに対してうまく求愛ができない。ロクサーヌに幸せになってほしいシラノは、クリスチャンの求愛を助けるべく、自らの恋心を文学的な手紙にしてクリスチャンのメッセージとして送ってやるが…

 吉田鋼太郎がシラノで大変よく似合っているため(非常に当たり役だと思う)、ヘタするとシラノだけが目立つ話になりそうだが、このプロダクションでは黒木ロクサーヌが大変美しく、しかもなんか年齢不詳感が強くて、少し年上のお兄さん風に作っているシラノと並んでも、若くて小僧っ子ふうに作っているクリスチャンと並んでも不思議に釣り合ってしまうので、バランスの良い芝居になっていたと思う。黒木ロクサーヌは詩とか戯曲とかにハマっているオタクっぽい乙女がそのまんま大人になってしまったような女性で、自分に釣り合う教養と詩心のある男性と恋をしたいというロマンス願望から逃れられない。一方で吉田シラノも、見た目は壮年の騎士で剣をとれば図々しいことこの上ないものの、女性を前にするとうぶな少年も同然で、憧れの美女であるロクサーヌには美男がふさわしいと思い、自分は醜く女性に好かれないのだというコンプレックスを抱いている。2人とも幻想にとらわれてしまってなかなか身近にある幸せに気づけないため、最後まで一緒になることができない。一方でクリスチャンもちょっとボンクラだが大変爽やかな人物だし、中盤まではイヤな男だったド・ギッシュ伯爵もこの3人の善良さに感化され、後悔して終幕にはけっこうまともなシラノの友人になる。シラノが死ぬ前に恋心を伝え、気心の知れた人々に囲まれて自分らしく人生を終えるという終わり方は悲しいところもあるが、一方で爽快さもあり、不愉快な終わり方ではない。笑いと涙とロマンティックな詩が入り交じった、楽しい芝居だと思う。