フルーツから身を守る房中術〜『君の名前で僕を呼んで』(注意:本日のエントリにはネタバレ及び性的な表現があります)

 ルカ・グァダニーノ監督『君の名前で僕を呼んで』を見てきた。同じ監督の『ミラノ、愛に生きる』『胸騒ぎのシチリア』とあわせて「欲望三部作」らしい。
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 違った、こっちだ。
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 舞台は1983年(私が生まれた年だぞ)のイタリア。主人公である17歳のエリオ(ティモシー・シャラメ)は考古学者の父や果物を育てている母と一緒に、毎年このイタリアの別荘で夏休みと冬休みを過ごしている。そこに、父の助手としてひと夏手伝いをするためにやってきた24歳の大学院生、オリヴァー(アーミー・ハマー)がやってくる。エリオとオリヴァーは最初はなかなか打ち解けられなかったが、いつのまにか恋に落ちて…

 全体的にはものすごくロマンティックで美しい映画である。以前、『ノクターナル・アニマルズ』について「トイレでケツふいてる人まで美しく撮る」と書いたことがあるが、これも道端でゲロってる人とかボロそうなマットレスとかまで徹底的に美しく撮っている映画だ。さらに『ノクターナル・アニマルズ』に比べると絵の触感が生々しくて、登場人物が食べてるものとか浴びてる水とかのテクスチャがギシギシと感じられるような撮り方をしている。とくに最後のエリオの顔をとらえた長回しなどは凄くて、近くで燃えてる暖炉の熱とかエリオの涙の塩味まで伝わってくるようだ(我ながら気持ち悪い表現だが、この映画の触感の生々しさにはちょっと気持ち悪いくらい鮮やかなところがある)。正直、見終わった時にはうっとりしてこんな感じになってた。久しぶりに映画が綺麗すぎてつらくなった。

 …しかし、同時に私はかなり絶望した…というのも、「これ、『アメリカン・パイ』じゃん!」と思ったからである。
 『アメリカン・パイ』(1999)は、高校卒業までに童貞を捨てようと誓った男子高校生4人組を描いたハイスクールバカコメディである。アメリカでは大ヒットしてたくさん続編も作られている。そしてこの映画で一番有名な場面は、紛れもなくジム(ジェイソン・ビッグズ)がアップルパイとセックスする場面である。この場面はとにかくすんごいバカだ。
(『アメリカン・パイ』の例の場面。閲覧注意。)
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 そして、『アメリカン・パイ』とはかけ離れた美しい映画である『君の名前で僕を呼んで』にも、まったくこのケツ出したジェイソン・ビッグズがアップルパイに突っ込むのとほぼ同じ発想で作られた場面があるのである!もちろん、自然の恵みが豊富なイタリアに住んでいて何か国語もしゃべれる美少年はアップルパイなどというサクサク加工の食い物には突っ込まないのであって(アップルパイになんか突っ込んでいいのはアメリカの高校生とナチスだけだ)、母の果樹園でとれた桃とセックスするのである。そしてさらに、その桃をそのまま放置してオリヴァーに見つかるというコメディみたいな展開になる。食ったフルーツはちゃんとゴミ箱に捨てよう。
 …そして、どういうわけだかこの爆笑もののバカコメディ展開が、コミカルではあってもひたすら美しく撮られているのである!そして、笑うところはあっても、この映画はものすごくロマンティックで美しい映画だ。フルーツとセックスする男子高校生の映画なのに、そしてどっちもやけにものわかりのいいお父さんが出てくるのに、なぜ『アメリカン・パイ』はあんなにバカ映画で、『君の名前で僕を呼んで』はこんなに美しい映画なのか。その答えはイケメンが出てるからだ。イケメンはどんなにバカバカしいことでも美しくしてしまう。セクシーになるはずなかったLMFAOのバカソング"Sexy and I Know It"が、リッキー・マーティンが歌った瞬間ものすごくセクシーになってしまったのと同じだ。いやもう絶望的に理不尽だと思う。まるでホンモノのデレク・ズーランダーが出てきたみたいだ。

 そういうわけで、私は『アメリカン・パイ』と同じことをしていてもイケメンが出ていれば美しい映画になってしまうのだという事実に絶望して、『お願い!チェリーボーイズ』(『アメリカン・パイ』をパロった大バカなゲイコメディ映画で、主人公はキュウリとセックスしてる)とそれに輪をかけてひどい続編を見て、やっぱりバカな映画はバカだと思えるようになるまでこの批評を書けなかったわけだが、『君の名前で僕を呼んで』がそれ以外の食物とセックスする若者の映画(そんなジャンル、あんのか…)と違うのは、別に主人公は好きな人とセックスできないから果物とセックスしてるわけではないということである。エリオはオリヴァーという恋人がいるのに、欲望が有り余ってるから桃に射精しているわけであって、『君の名前で僕を呼んで』は、フルーツに欲情しないためにどうするか、フルーツの誘惑から身を守るためにはどうするかっていうことを描いている『アメリカン・パイ』とは違う。『君の名前で僕を呼んで』においてエリオが果物とセックスする場面は、彼のセクシュアリティがものすごく非定型的で、それこそ指でつぶせば変形してしまうフルーツみたいに柔らかく、固まってないことを示しているのかもしれない。やはり加工されてないフルーツだということに映画的な意味がある。いや私がこのように場面を真面目に分析しているのもやはりイケメンが出ていてこの映画が綺麗だからであって、『アメリカン・パイ』のジムがパイに突っ込む場面ももっと真面目に分析せねばならないのではないか。したくねえ…

 しかしながらよく考えてみると、『君の名前で僕を呼んで』には、あまりにも綺麗で見てるほうが思考停止してしまうせいで覆い隠されてるものがけっこうあると思う。全体的に女性の扱いは刺身のツマみたいで、マルツィアは都合が良すぎるキャラクターだ(ベクデル・テストは一応、お母さんとマファルダのパスタに関する会話でパスする)。それに、美しすぎるせいで気付かないが、アーミー・ハマーは24歳の大学院生にしては老けすぎてる気がする。さらに、エリオとオリヴァーはどちらも輝くばかりに美しく傑出した才能を持っていて、明らかに飛び抜けた人たちだ(とくにエリオは、フルーツに突っ込む以外はものすごく知的に成熟している)。これは完全に個人的な趣味だが、誰が見ても美しく特別な人々の特別な恋をものすごく美しく描いた映画よりも、『彼の見つめる先に』みたいな、パッとしないところもある若者同士の地に足の着いた恋をすごく美しく描いた映画のほうが、映画としては見所があるんじゃないかと思う。なぜなら我々はパッとしないほうだからだ。なんてったって、『君の名前で僕を呼んで』を見ている我々ときたら、主人公の2人に比べればしょちゅう画面に映ってるハエレベルの容姿だ(ちなみに、ゲイの男の子とつるみたがる女のことを英語のスラングでFruit fly「果物バエ」という)。ハエにはハエの映画がある。