連帯する女たちと中年男の危機〜『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』(ネタバレあり)

 『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』を見てきた。1973年に行われた、元男子テニスチャンピオンである55歳のボビー・リッグズ(スティーヴ・カレル)と、29歳で女子テニスのトッププレイヤーだったビリー・ジーン・キング(エマ・ストーン)の「男女の戦い」(Battle of the Sexes)を描くものである。ここでビリー・ジーンが勝利したことは、女子テニスの発展にも女性解放運動にも大きな影響があったそうだ。

 この映画が大変面白いのは、真の「悪役」がボビー・リッグズではないということだ。女子テニスの賞金が低すぎるため独自に女子テニスの協会を立ち上げ、女性アスリートのために尽力する健気なビリーに対して、性差別的な大口を叩き続け、メディアの前で挑発を繰り返すボビーはとても好人物とは言えない。しかしながらこの映画では、ボビーは既に試合をする前から人生においてはビリーに大負けしている。
 ビリーはテニス界における男女平等と女子テニスの発展を求める活動をする中でグラディス(サラ・シルヴァーマン)やロージー(ナタリー・モラレス)といった女性たちと連帯を深めていくし、若々しいカリスマに人々がついてきてくれる。というか夫のラリーも不倫のガールフレンドであるマリリンも、テニスに人生を捧げるビリーの魅力にかなり巻き込まれてしまっていて、けっこう理不尽なわがままでも我慢してくれる。女性を好きになったことを隠さなければならないというのがビリーが抱えている最大の悩みなのだが、そういう時でもゲイのデザイナーであるテッド(アラン・カミング)が先輩としていろいろサポートしてくれる。
 こういうふうに人徳と魅力のおかげで支えてくれる人がたくさんいるビリーに対して、ボビーは本当の友達がいない孤独な中年男で、唯一歯に衣着せぬ言葉で真摯に接してくれる妻のプリシラ(エリザベス・シュー)は途中で出ていってしまう。人生を捧げたプロテニスの試合は年齢のせいで引退せねばならず、新しく働き始めた会社では仕事がうまくできないし、息子たちとの関係もぎくしゃくしがちで、ギャンブルに依存する毎日だ。友人だと思っている連中は金目当てだったり、ボビーの陰に隠れて自分の性差別主義的な主張を吹聴したいだけだったりする。わざと「女性差別主義者のブタ」などと名乗って悪役の道化を気取り、孤独を気取られないようにするボビーは、実は大変悲しい男だ。人生については完全にビリーその他の生き生きした女性テニス選手たちに負けているし、マーガレット・コートのところを訪ねたときにやたら赤ん坊を抱きたがるところからすると、ひょっとするとボビー本人もなんとなくそれに気付いているのかもしれない。ボビーが受けているセラピーで、ボビーとプリシラはアルファメイルとアルファフィメイルのカップルだからうまくいかないんだと言われるところがあるが、おそらくボビーは自分が人生でプリシラのような自分より強くてしっかりした女性を必要としていることはいやというほど理解している。しかしながらプリシラに去られ、自分が女性を必要としていることを認めたくなくてやたらとメディアで性差別発言をかます

 そしてビリーもボビーがただの虚勢を張る道化だということはなんとなく理解している。ビリーが本当に戦いを挑もうとしているのは、中年の危機に陥っている孤独なボビーではなく、ジャック・クレーマー(ビル・プルマン)のように深いところで女性を対等の人間だと認めることができず、政治力を持って女性を抑圧しようとするような連中と、そうした古くさい考えが支配しているテニス界そのものだ。この映画で一番大事な場面は、ビリーがボビーと対戦する場面ではなく、ジャックと対決して思いのたけをぶちまける場面のほうかもしれない。

 こういう感じの話を、完璧に1970年代ふうの時代考証で音楽や衣装もばっちりキメて撮っているので、大変面白い。ビリーとマリリンが最初にデートをするクラブでかかっている「クリムゾン&クローヴァー」の使い方なんかは大変うまい。ビリーを演じるエマ・ストーンもボビーを演じるスティーヴ・カレルもたいへんなハマり役で、2人とも奥行きのある人物だ。脇を固めるエリザベス・シューサラ・シルヴァーマンアラン・カミングなんかも良かった。女性同士の会話もよく書けていて、ベクデル・テストもパスする。