カート・コバーンがスタジアムロックやってるんだから、そりゃツラいよな…『アリー/スター誕生』

 ブラッドリー・クーパーの初監督作『アリー/スター誕生』を見てきた。1937年のウィリアム・ウェルマン監督、ジャネット・ゲイナー主演の『スタア誕生』が原作で、1954年にジュディ・ガーランド主演で、1976年にバーブラ・ストライサンド主演でリメイクされている。つまり、少なくとも英語圏だけで4回も作られている映画である(インドでも作られたことがあるらしいので、たぶん実際はもっとリメイクがあるはずだ)。

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 酒と薬びたりのロックスター、ジャクソン・メイン(ブラッドリー・クーパー)は、酒を飲むために入ったドラァグバーで歌手のアリー(レディ・ガガ)に出会う。才能豊かなアリーにたちまち惚れたジャクソンは、彼女をツアーのメンバーに加え、アリーはすぐにスターになる。しかしながら、聴力が衰えて酒浸りで下り坂のジャクソンと、上り坂のアリーはだんだんすれ違うようになり…

 

 話はこれまでの3作をほぼ引き継いでいる。もともと第1作の台本が大変よくできており(第1作はRotten Tomatoesで100%のスコアを叩き出している名作である)、リメイク版もいろいろ変更はありつつ話の基本は同じである(バーブラ版はちょっとキーになるポイントで少し違うところがある)。アリーの鼻のネタとかは前のバーブラ版を引き継いでいる。

 

 たぶんこの『アリー/スター誕生』が今までの『スター誕生』に比べるとちょっと独特なのは、男性主人公であるジャクソンがかなり中心的に描かれていることだ。これまでの映画は、第1作はかなりバランスが良いのだか多少ジャネット・ゲイナーよりの映画、第2作はジュディ・ガーランドの映画、第3作はバーブラ・ストライサンドの映画という側面が大きかったと思うのだが、これはたぶんブラッドリー・クーパーの映画である。とくにブラッドリー・クーパーが「オレがオレが」みたいに出てくるっていうわけではない。むしろクーパー演じるジャクソンがひとりで出てくる場面では異常に逆光で顔を見えにくくしていたり、アリーと出てくるところではアリーの表情を強調して撮ったりしているのだが、それでもジャクソンの人生がかなり浮かび上がってくるように見える。

 ブラッドリー・クーパー演じるジャクソンは、サウンドはカントリー(+若干のブルース)がベースのスタジアム型アメリカンロックなのに性格はカート・コバーン(真面目で自分の内面を追究したいと考えていて、本来ならちっちゃいクラブとかで仲間と弾いてるほうが楽しいタイプ)、さらにベートーヴェンばりに耳の病まで抱えているという「そりゃ酒浸りになってもしょうがないのでは」と思ってしまうようなトラブルと矛盾をどっさり抱えたキャラクターだ。ジャクソンと亡き父親や兄のボビー(サム・エリオット)の関係はとても丁寧に描かれているし、ちょっとしか出てこないメンフィスの兄貴分ヌードルズ(デイヴ・シャペル)も大変ちゃんとしたキャラクターで、短い描写でもジャクソンとの関係がよくわかるようになっている。さらにここに、強さと勤勉さとカリスマを併せ持ったミュージシャンである恋人のアリーが加わる。ジャクソンはこういう人々からなる親密な人間関係の中にある繊細な結節点で、魅力的だが不器用な全ての中心だ。ブラッドリー・クーパーがたぶんこれまでのキャリアでもトップレベルで素晴らしい演技を見せているので、かなりジャクソン中心の話に見える。

 

 アリーを演じるレディ・ガガの演技も素晴らしいのだが、こっちはジャクソンに比べるとちょっと台本をきちんと詰めてないような印象を受ける(ベクデル・テストはゲイルとアリーの短い会話でパスする)。まず、ドラァグバーで歌うのが「ラ・ヴィ・アン・ローズ」だという選曲がおかしい…というか、ああいう場面でああいう場所で歌うんなら、なんかパワーハウスなディスコの名曲とかにすべきじゃないかと思った(それでお客さんがアガってジャクソンも美声にやられる、というほうが盛り上がる)。とくになんか変だと思ったのが、アリーの売り方だ。この映画はポップを蔑視してるということで批判されているらしいのだが、そもそも今のポップで、あんな地味なテイラー・スウィフトみたいなコンセプトで売れるかぁ…?と思う(踊れるはずのレディ・ガガにわざとダンスが下手な役をやらせるあたり、あれはテイラー・スウィフトを意識してるんじゃないだろうか)。むしろ、アリーみたいな歌手ならアデルみたいな路線で売るんじゃないかと思う。

 というか、そもそも「古い音楽が新しい音楽に出会う」みたいな話なら、女性ミュージシャンのほうはアリーみたいなシンガーソングライターじゃなく、カーディ・Bとかみたいな若い女性ラッパーとかにすべきなんじゃないかと思う。『スター誕生』はその時々で流行っている音楽を使ってアップデートしたほうがいい映画だと思うのだが、この映画に出てくる音楽は、きちんと撮られてはいるものの、ちょっと古い。

 そしてこの映画に出てくるジャクソンはかなりカート・コバーンが入っていると思うのだが(実際に脚本家がカートをヒントにしたらしい)、メンタルがカート・コバーンなのにカントリーロックをスタジアムでやっているというのは相当ツラいな…と思いつつ、たぶん実際にこういうことが起こったらこんなにはキレイに終わらないだろうなと思った。カートの死後にパートナーのコートニー・ラヴが叩かれたみたいに、アリーがむちゃくちゃ叩かれるだろうなと思う。この映画は別に教訓的な作品として作られているわけではないと思うのだが、実際にこういうことが起こった時、後に残されて傷ついた人たちにちゃんと思いを馳せて、不用意に叩いたりせずに対応しなければいけないということを教えてくれるところもある。