母上が大事なアーサー王伝説~『アクアマン』(ネタバレあり)

 ジェームズ・ワン監督のDCエクステンデッド・ユニヴァース新作『アクアマン』を見てきた。

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 主人公はアクアマンことアーサー(ジェイソン・モモア)である。アーサーはアトランティスの女王アトランナ(ニコール・キッドマン)と人間の灯台守トム(テムエラ・モリソン)の息子で、アトランティスの王位継承権を持っており、女王の忠臣バルコ(ウィレム・デフォー)から特殊な能力を用いて行う戦闘や泳ぎなどを教わって育った。しかしながら、無理矢理海に連れ戻された母が処刑されたということを聞いて海との関係を絶ち、ちょこちょこ遭難の救援など人助けをして暮らしていた。そんなところに、海の危機を救う助力を求めて王女メラ(アンバー・ハード)がたずねてきて…

 

 とりあえずありとあらゆる神話やら古典やら先行映画やらなんやらを研究して取り入れたと思われる雑多な要素がてんこもりで、胸焼けするくらいぎっしり詰まった映画である。始まりは東アジアの龍宮伝説とか異類婚姻譚貴種流離譚みたいな世界に多く分布する民話だし、命名やトライデントを抜くところはまるっきりアーサー王伝説だ。さらに『バーフバリ』みたいな母孝行とか忠臣の話が入っているし、お母さんのアトランナを取り戻すくだりは『アントマン&ワスプ』にそっくりである。ビジュアルはラッセンみたいなのだが、動いている時の描写とか衣装プランなんかにはむしろ『バーバレラ』みたいな60年代末~70年代のSF・ファンタジーっぽい、ちょっとチャラチャラしたポップな雰囲気がある(メラの衣装とか、麗しのアトランナが金魚を食ってしまう微妙にグロ可愛いところとか)。そういうわけでどっかで見たような要素ばかりで作られているのだが、こんだけ詰め込まれると必ずひとつかふたつくらいは好みの要素があったりするし、退屈は全くしない。あと、最近のアメコミ映画にしてはアクションが出色で、海で重力が地上と違うからというのを口実にいろいろ面白いことをやっているし、動きの撮り方もとてもちゃんとしていてあまりダレない。

 

 ただ、見ている間はかなり面白いのだが、よく考えると変なところもいっぱいある。どうもネレウス(ドルフ・ラングレン)がいろいろ仕組んでいたんじゃないかと思わせる演出があるのにそれがまったく明らかにならないし、なんでわざわざ海溝に行ったのかという理由がよくわからない(たぶんこうだろうという予想はできるのだが、映画の中でちゃんと説明はされていないと思う)。あと、トライデントは真の王しか手にすることができない→つまりトライデントを守っているカラゼンは真の王たる者が来たら妨害せずにトライデントを渡さねばならないはずだと思うのだが、アーサーが来ると半端に邪魔立てしたりするので、カラゼンちゃんと仕事してないと思う。あと、音楽の使い方について、グレタ・ヴァン・フリートの「サファリ・ソング」が出てくるところは良かったが、アフリカの砂漠の場面でTOTOの「アフリカ」をサンプリングしたピットブルの「オーシャン・トゥ・オーシャン」が流れるのはやりすぎである。

 

 しかし、最近のアメリカ映画はちょっと母上推しにすぎるのではと思う。『アクアマン』で重要なのはアーサーが女王アトランナの長子であるということであり、父親の血筋はどうでもいいらしい。『アントマン&ワスプ』でもお母さんを取り戻すのが大事だったし、『クレイジー・リッチ・エイジアンズ』でもお父さんの影が超薄くて二代にわたって家母長が大事であり(おばあさまとエレノア様)、『ヘレディタリー』は明らかに家母長制の話だ。まあ、あんなんがアメリカのトップにいて、「有害な男性性」みたいなものがクロースアップされている昨今、強くて優しい母上に救いを求めるみたいなトレンドが出てくるのはおかしくないと思うのだが…あと、王に君臨するアクアマンよりもアトランナやメラのほうがはるかに実務能力がありそうな感じがするというのは『ブラックパンサー』にも似ている。『ブラックパンサー』でも、ブラックパンサーは武力のオコエと知力のシュリに守られることにより王としてのカリスマを維持していて、カリスマはより少ないのかもしれないが実務能力は突出して高い女性たちに業務の一部を外注することで王でいられるということになっている。このへんの女性表象も最近のアメリカの政情と何か関係あるような気もするのだが、ちょっと自分の中ではあまり整理がついていない。

 

 なお、この映画がベクデル・テストをパスするかどうかはちょっと微妙である。アトランナとメラが話すところはあるのだが、とても短い上たいていアーサーがその場にいる。