振動して、嘔吐して、棺桶に乗って宇宙の果てに埋めに行く~『ファースト・マン』(ネタバレあり)

 『ファースト・マン』を見てきた。

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 舞台は60年代初め、主人公は優秀なパイロットのニール・アームストロング(ライアン・ゴズリング)である。幼い娘カレンをガンで失ったニールは、NASAの宇宙飛行士のポストに応募し、訓練を受ける。失敗もするが、常に冷静なニールはとうとうアポロ11号の船長に選ばれ…

 

 デイミアン・チャゼルの前作『ラ・ラ・ランド』があまり好きじゃなかったので、正直あまり期待していなかったのだが、これは大変良かったし、ビックリするほど私の好みだった。いわゆる宇宙飛行に関する歴史映画と言われて想像するワクワクするような楽しい映画ではないのだが、ものすごくよく出来ているし、最後はあんまりわざとらしくない感じで心にズシっとくる。

 

 この映画がふつうのアメリカの娯楽映画と違うのは、主人公のニールが全然、楽しくて頼れる明るいリーダーみたいな人ではないということだ。ニールはごくふつうのアメリカの家庭の出身で、生まれた時からアイビーリーグに進学することが決まっているような生え抜きのエリートではないのだが、勉強が好きで頑張って大学に進み、地道に軍や民間企業で経験を積んで豊富な知識と高い技術を身につけて、いわば自らの力で「エリート」となったパイロットである。誰が見ても文句がつけようがなく有能で、どんな時でも冷静に対処する能力を持っているのだが、いわゆるアメリカ映画のヒーロー的な、人の感情に働きかけるカリスマを一切、有していない。チームで仲良く協力するとか、仲間を鼓舞するとか、そういうことは全然やらないが、それでもアポロ11号は飛ばせるのである。宇宙船の船長だが、ニールは『スタートレック』のカークみたいなアメリカ好みの熱い男ではまったくないのだ。

 つまるところギークな技術オタクなのだが、このギークぶりをほとんどユーモアの対象とせず、非常にフラットな感じで撮っているところに特徴がある。アメリカ映画にもギークなヒーローはいないことはないのだが、『アベンジャーズ』とか『X-Men』シリーズに出てくるみたいな超人ヒーローになったり、そうでないものでもミョーに面白おかしい人物になってしまいがちである。ところがこのニールは愛すべき人物としてユーモアをもって撮られているみたいなところが全然ない。別に他人とコミュニケーションがとれないとかいうことはないのだが、とてもビジネスライクで興味がないことや必要でないと思われることはやらないし、そこがたまに不作法に感じられるところもあるものの、それでも物凄いイヤな奴というわけではなく、淡々と等身大の人物として描かれている。

 

 ニールは全然感情を表に出さないので考えていることがよくわからないのだが、こんなニールにライアン・ゴズリングがとても深い人間味を与えている(ゴズリングが演じていなければかなり困った人に見えたかも…というギリギリのラインだが)。ニールの感情は本人の発言とか動作とかで明確に示されておらず、意味深長なほのめかしのつながりによって表現される。実はこの映画の大きなテーマは、ニールが子供を失った父親としての心情をどうやって整理するかということだ。

 ここで大事なモチーフが振動と、嘔吐と、棺桶だ。この映画では冒頭部分でニールが娘のカレンの看病をするところがけっこう丁寧に描かれており、すごく初めのほうにカレンが抗がん剤の副作用で気持ちが悪くなって吐く描写がある。ニールは娘を献身的に看護するが、カレンは幼くして亡くなり、ちっちゃな棺桶に入れられて埋葬される。その後でニールは宇宙飛行士に応募するわけだが、この映画におけるニールは宇宙飛行士の訓練の中で、娘が病気になってから死ぬまでのプロセスを追体験する。まずは訓練用の機械にのせられてぐるぐる回されて吐き、それから棺桶みたいな狭い船に詰め込まれて地面の中ではなく、宇宙に送られる。途中で一箇所だけニールが娘の死に言及する場面があり、ここがたぶんキーだ。ニールは近所のブランコを見て、娘も昔ブランコに乗っていたということをほのめかす。ブランコというのは空中に不安定に浮いていて、ぐらぐら揺れるものだ。たぶんニールにとって、宇宙でぐらぐら揺れることというのは自然にそうなるからという以上の意味がある。足がつかない空中で振動するということは、ニールにとって何か娘を思い出すよすがなのだ。ニールが気持ちが悪くなって失神しそうになるところで娘のことがフラッシュバックする短いカットがあるが、振動とか嘔吐を引き金にニールは娘の死を生き直している。

 しかしながらニールは棺桶で宇宙に行ったにもかかわらず、死なずに月に降りることができた。そこでニールは娘の遺品である小さなブレスレットを手に握りしめ、月に捨ててくる(宇宙に行く前にニールは個人的なものは何も持って行かないとインタビューで答えていたのだが、この時だけニールはウソをついていたのだ)。ニールは娘の死を生き直したが、自分を宇宙に埋葬するのではなく、娘の死の苦痛を月に埋葬して生きて帰ってきた。この映画における月への飛行というのは、ニールがお父さんになるための心の軌跡だったのだ。

 

 なお、この映画はかなり個人的なことに焦点をあてた作品で、ニールの妻ジャネット(クレア・フォイ)もこの手の男性中心の映画にしては奥行きをもって描かれている。ジャネットがパトリシアなどと挨拶するところでベクデル・テストはパスする。