雨音と洗礼~『ビール・ストリートの恋人たち』(ネタバレあり)

 バリー・ジェンキンズ監督の新作『ビール・ストリートの恋人たち』を見てきた。ジェームズ・ボールドウィンの小説の映画化である。

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 舞台は70年代のニューヨークである。ヒロインのティシュ(キキ・レイン)は幼馴染みであるボーイフレンドのファニー(ステファン・ジェームス)の子供を妊娠していることに気付くが、ファニーは警察の誤認逮捕で強姦の罪に問われ、収監されていた。ティシュは母や父、姉の助けを受けてファニーを救おうとするが…

 

 ティシュとファニーの若々しい恋がとても丁寧に描かれている一方、警察に嫌われているファニーが無実の罪で陥れられてしまうということをはじめとする厳しい人種差別をリアルに描いた作品である。原作をかなり忠実になぞっており、あまり直線的でないナラティヴもほぼ原作そのままである。ただ、ティシュの母シャロン(レジーナ・キング)がファニーを強姦で訴えたヴィクトリアに会いに行く前にかつらをかぶったり脱いだりするところは原作とは変えてあるし、終わり方も原作とちょっと違う。

 未婚女性で、しかも恋人は収監されているティシュの妊娠について、あまりステレオタイプな描き方がされていないところが大変良かった。家族であるリヴァーズ家の人々はそこまで動転しないし、ティシュもわりと落ちついている。なお、ベクデル・テストはティシュの姉アーネスティン(テヨナ・パリス)がエイドリアン・ハントとケンカするところでパスする。さらに強姦でファニーを訴えたヴィクトリアが単なる嘘つきみたいに描かれていないところも良く、アーネスティンがなぜヴィクトリアがファニーを強姦犯だと信じ込んでいるのかをティシュに説明する場面はかなりつらいものがある。

 

 全体的にこの作品で面白いのは、雨とか水の描写である。前作『ムーンライト』でも洗礼みたいな場面があったが、どうもバリー・ジェンキンズは洗礼のモチーフにすごくこだわってるらしい。この映画では、オフの雨音が2回とても印象的に使われている。最初はティシュとファニーが初めてセックスする場面である。2人がデートして雨の中を相合い傘で帰り、その後ファニーの家で初めてセックスするところで、音がレコードの音楽からオフの雨音に変わるところがある。さらにその後、最後にティシュが大きなお腹を抱えて狭い部屋に帰ってくるところでもオフで雨の音がしており、ここがバスタブの水の中からティシュの赤ん坊が浮かび上がってくる象徴的な出産・洗礼のショットにつながるようになっている。見ているほうとしては雨水の中から子供が生まれてきたみたいに見える。生まれた時から水で洗われているこの赤ん坊は、汚れが洗い落とされた状態で世に出てきており、基本的に清らかな存在だ。

 

 この映画では、2人の息子はファニーの本名である「アロンゾ」という名前をつけられるのだが、このアロンゾJr.はティシュとファニー2人の祝福を受け、生まれた時に洗礼を施され、明確な名前を持って生まれてきた子供である。ジェンキンズは前作でもえらく名前にこだわっていたのだが、この映画のティシュとファニーはあだ名で呼ばれており、途中でティシュが弁護士のヘイワードに対して、ファニーを「アロンゾ」ではなくファニーと呼んでほしい、そうすることでヘイワードが家族の仲間になるから、と言うところがある。つまり、ファニーとティシュは実名ではない家庭内の愛称で呼ばれることにより家族紐帯の中に入るという文化を持っていることになる。一方でアロンゾJr.は父ファニーの実名を名前としており、子供時代のアロンゾJr.とファニーが重なるような描き方になっている。アロンゾJr.はあだ名をつけられることではなく、父親を受け継ぐというやり方であらかじめ家族紐帯の中に取り込まれている。これは、ファニーとティシュがこれまでの家族よりも実はもっと強い絆で家庭を築いていけるということをポジティヴに暗示しているのかもしれない。

 

ビール・ストリートの恋人たち
ジェイムズ・ボールドウィン
早川書房
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